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ゼプツェン(5)



どくん、どくん、どくん、どくん……。
マリアの小さな小さな心臓は、今にも爆発しそうな勢いで脈打って いた。

耳が、キーンと痛い。
静寂の中、どんな微かな物音も聞き逃すまいと、神経を集中して進 む。

……あっ……。
足元に気を付けるんだよ、マリア……。
闇に紛れて歩く父と娘。父は蹴躓(けつまず)いた娘の手を取った 。

“この角を無事に曲がることができれば”
格納庫にゼプツェンがいる。

もちろん、格納庫のIDカードキーの複製は作ってある。ただ一つ の難関は、格納庫前の監視室。しかし、この時間帯は兵士の交代時 間にあたるため、おおよそ無人となっていることは調べがついてい る。
ふいにニコラが足を止め、マリアの目の前にしゃがみ込んで、彼女 を抱きかかえるようにして、囁いた。

……いいかい、マリア。ここの扉を開けると、すぐにでも警備兵が 駆けつけてくるだろう。その前に、私達はゼプツェンにたどり着か なければならない。分かるね。
……うん。

……それと同時に、ゼプツェンと脱出するために出口を確保しなけ ればならない。だからパパは、隔壁を開くために向こう側の操作室 に行く。ここからは、別行動だ。
……いっしょに行っちゃダメ?

……駄目だよ。マリアには、ゼプツェンを動かす役目があるのだか らね。パパにも、他の誰にも出来ない大仕事だ。さあ、行くよ。
……う、うん。


マリアが納得したことを見届けると、ニコラはゆっくりと立ち上が った。そして、胸元のポケットからIDカードキーを取り出し、扉 にあるカードリーダーに通した。

“ピーッ、ピッピッピ”
カードリーダーの赤色の豆ランプが、緑色に変わった。

“カシャッ”
鍵が開いた。

同時に、ソラリス全体をカバーしている守衛室のモニター盤にも、 格納庫の扉が開いたことを示すランプが点灯していることだろう。

一刻の猶予もない。

ニコラは、途中までマリアを抱えて走り、彼女を降ろしてから力強 く背中を押すと、来た道を戻り、全力で操作室に向った。
急がなければ――。



マリアも力いっぱい走った。

「あっ!」
ステン!
マリアは急ぐあまり、前に転んでしまった。無理もない、大人でも 体験したことない緊張のただ中にいるのだから。

「あ、脚が……。」
転倒した拍子に、左足を挫(くじ)いたらしい。マリアは起き上が り、ひょこっ、ひょこっと“びっこ”を引きながら、それでも走っ た。

フィン

突然、ゼプツェンの両目が光ったように見えた。
「え?」
気がつくと、マリアはゼプツェンの掌の上に。

ゼプツェンはマリアを掌の上にそっと乗せると、まるで格納庫の構 造を知っているかのように、まっすぐ操作室へ続く扉の方向へ向っ た。
「パパ……。」



操作室では、ニコラが隔壁を操作していた。
「これと……ここを…ロックすれば、しばらくの間、隔壁は閉じな くなる。……時間稼ぎくらいにしかならないかもしれないが……。 」

突如、警報のサイレンが鳴り響く。
急がなければ――。

ニコラは操作室を飛び出した。同時に、操作室の扉が閉まり、ロッ クされた。逃亡者が逃げ出せないように、各部屋の扉、および通路 の非常扉をソラリス兵が操作しているのだ。ニコラは、閉鎖されよ うとする扉のギリギリの隙間をすり抜け、格納庫へ向った。ニコラ の背後では、ズシーン、ズシーンと次々に非常扉が閉まる轟音が響 き渡たっていた。





ギギ……ギシギシ……ギリッ!

念のため、格納庫の一つ手前の扉に挟んでいたギアのメンテナンス 部品群が、最後の悲鳴を上げていた。真っ二つに砕ける最後の悲鳴 。

もう少しだけ、あともう少しだけ……耐えてくれ。

メンテナンス部品はかなり変形していて、大人1人が通れるかどう かの隙間がやっと開いているだけだった。ニコラは躊躇することな く、その隙間に飛び込んだ。

バキッ!
「ぐわっ!」

遅かった――。

部品は、ニコラが飛び込んだのと、ほぼ同時に砕けた。
扉は、間にニコラを挟み込んでしまったのだ。ニコラは、自分自身 の骨が砕ける音を聞いたような気がした。


バキバキッ!
突然、目の前の格納庫の扉が吹き飛んだ。
「パパぁ!」扉の向こうにはマリアの姿。

「……ゼ、ゼプツェン…か……?」

そう言うのがやっとだった。この短い言葉でさえ、血にまみれてし まった。
このまま扉に押し潰されるしかないのか、ニコラは死を覚悟した。
「……私は……大…丈夫だ…。」

そして、血を吐きながら叫んだ。
「行け! 早く! 隔壁が閉じる前に!」

ゼプツェンは再びマリアを掌に乗せ、踵を返した。

「ゼプツェン、止まって! お願い! パパが、パパがぁっ!」
マリアの叫び声が遠ざかっていく。

「パパぁーーーっ!」


“頼んだぞ……クラウディア”



ゼプツェンの飛行ユニットから出る、熱を含んだ風が、ニコラを暖か く包み込んだ。