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ゼプツェン(4)



ニコラは、この日最後の仕事に取り掛かった。
彼はよどみない動きで、シミュレーションシステムの電気関係のつ まみを、めいいっぱい回した。システムにいくつかある電圧計と電 流計の針が、全て振り切った。キーンというかんだかい音があたり に響く。
クラウディアの身体が、ガタガタと激しい痙攣をうつ。

やがて、銅線とプラスチックの焦げるような異様な臭いが鼻をつき はじめた。
コンピュータの画面には、危険を知らせるエマージェンシーコール が赤く点滅表示されている。
“危険! 危険! 被験者の生命維持装置にトラブル発生”

ボンッ!
機械の一つが火を吹いた。
“危険! 危険! 被験者の生命維持装置にトラブル発生”
記録計の針がチャート紙の上に、めちゃくちゃな波形を書き取って いく。

バン!
クラウディアの義手に組み込まれていた液体窒素ボンベが、急激に 熱せられて破裂した。

“危険! キケ……”
プツン!
コンピュータの画面が切れた。

ボンッボンッ!
続けて機械が次々と炎を吹き、実験台は業火に飲まれていく。危険 を知らせていたコンピュータ自身も火を吹き上げ、既に焼け落ちて しまっていた。
ニコラはまるで何かに取り付かれたように、じぃっとその様子を見 ているだけだった。



ジリリリリリッ!
非常ベルが、けたたましく鳴った。



「クラウディアッ! クラウディアぁぁぁ〜!」
駆けつけてきたソラリスの警備兵が見たのは、火の中に飛び込もう としている取り乱したニコラの姿だった。

「ニコラ博士、落ち着いて下さい。」
「クラウディアぁぁぁ〜!」
警備兵は慌ててニコラを後ろから羽交い締めしたが、ニコラは取り 乱したまま。
「止めるなっ。クラウディアが火の中にいるんだっ。放せ!」
あたりには、肉片の焼け焦げる臭いが充満していた。

「あの炎では、もう無理です。諦めて下さい、博士。」
シミュレーションシステムだけでなく、実験室の半分が既に炎に包 まれている。このまま部屋にいたら、全員の命が危ない。
「クラウディアは、まだ生きているんだ。放せ! ぐっ……?」

がくり。
ニコラの身体が崩れ落ち、そのまま警備兵に抱きかかえられた。
「博士。すみませんが、しばらく眠っていて下さい。」
ニコラは、後ろから麻酔銃で撃たれてしまった。逃亡防止の為に、 ニコラ担当の警備兵が常に携帯している銃であった。

「ここはもうだめだ。ニコラを連れて行け! 消防隊を呼んで消火 に当たらせろ。鎮火後、死亡しているのがクラウディア本人か、確 認すること。また、この混乱でニコラとその娘が逃亡する恐れがあ る。警備を強化しろ。分かったな。」





数日後

「博士。まことに奥さんには残念なことでした。」
「……。」ニコラは、話を聞く様子もなく机の角を見つめていた。
「奥さんの死因は焼死でした。」
「……あのとき、邪魔さえなければ助けられた。」
机の角を見つめたまま、ニコラがほとんど聞き取れない声で呟いた 。
「違います。あの時点では既に死亡していたと思われます。鎮火後 の検証では、奥さんの身体はほとんど炭化していました。それも業 火に焼き尽くされ、原形を留めぬ骨しか残っていませんでした。我 々も本人と断定するまでに、DNA鑑定を何度も繰り返したほどで す。」

ニコラが、その言葉にじろりと睨んだ。
「DNA……? 私がクラウディアを逃がしたとでも思ったのか?  あれは事故だ!」
「それは検証で証明されました。それに、彼女の義手もバラバラに なって、あそこに残されていましたし。我々も博士を信じています よ。」
「ふん……。」
再び、ニコラは視線を落とした。

「それで、今後の話ですが。博士の開発したシミュレーションシス テムと、今までの実験データが、全て焼失してしまいましたので… …。」
「……私にもう一度作れと?」
「そうです。」
「いやだ。」ニコラは首を横に振った。

「博士には、まだ娘がいましたよね。」
「……私を脅迫する気つもりか?」
「別にそんな気はありませんが。」

ニコラは両手で頭を抱え込むと、つぶれた声をしぼり出すかのよう に言った。
「……今は、あれをもう一度作る気にはなれないんだ。どうしても 、クラウディアを思い出してしまう。」
「心中お察し申し上げます。」
言い方は神妙だが、全く心のこもっていない言葉。
「悪いが、“中身”ではなく、“入れ物”の方を先にやらせてくれ 。」
「中断していたギア制作をですか? もちろん、こちらはよろしい ですよ。では、完成の日はもうじきですね。」

「……ああ。」






「マリア、見てごらん。あれが“ゼプツェン”だ。」
ニコラは右腕で抱き上げている娘に向い、誇らしげに言った。母親 が亡くなって以来、はじめて娘は父親の笑顔を見たような気がした 。

「……ぜぷつぇん?」
ニコラの指のはるか先には、濃紺の機体がそびえていた。

「……あれは“お前の物”だ。」
「え?」
ニコラはちょっと笑ってから、マリアの顔をじっと見て、マリアに だけ聞える声で囁いた。
「いいかい? よーく聞くんだよ。」
「うん。」

幼いながらも、マリアは父親が自分に向って、何かとても大切なこ とを言おうとしていることを理解した。

「あれは、お前の言うことしか聞かない。そのように造ってある。 もちろん、口に出して言わなくたっていい。お前が頭の中で考える だけでいいんだ。そうすれば、ゼプツェンはきっとお前の思い通り に動くよ。」
「思い通りって?」
マリアが真剣に聞き返した。

「お前の願った通りにだよ。例えば、私を持ち上げてと言えば、目 の前に右手を差し出して掌にお前を乗せてくれるだろう。……今は 本体に手と脚を取り付けていないから、それは無理だけどね。」
「本当?」
マリアはさらに顔を寄せた。

「パパが、お前に嘘を言ったことがあるかい?」
マリアは、あどけない顔を、それなりにしかめて考え込んでいる。 その顔が妙に可愛くて、ニコラにはおかしかった。

「……そうだな。目を点滅して、と言ってごらん。」
「ぜぷつぇん、あなたのおめめを点けて見せて。」

カチカチッ!
マリアの声に反応して、ゼプツェンの両目はかすかに瞬いた。
「ほら見てごらん。パパの言う通りだったろう?」
「うん。」
マリアはにっこり微笑んだ。

「もっと、他にもやってみるかい? ただ、あまり目立つことはだ めだよ。ソラリスの連中には、これは内緒のことだからね。」
うーんと、マリアは真剣に考え込んだ。

側から見る限りには、自分の仕事場に娘を連れてきて仕事の自慢を している、微笑ましい父と幼い娘の姿である。実際、彼らの監視を している警備兵もそう思っていた。なぜなら、ゼプツェンのパーツ を組み立てるために、そこかしこで作業員がバーナーの火花を散ら しており、ものすごい騒音が彼らを包み込んでいたからであった。

考え込んでいたマリアの顔が、パッと明るくなった。
「思いついたのかい?」
うん、とマリアはうなずいた。彼女は小さな掌をゼプツェンの方に 差し出して言った。
「ぜぷつぇん、あなたの力で今すぐパパと私を助けて。」

マリア、とニコラは両手を下ろさせ、小さな声で娘を叱った。
「……無理を言ってはいけないよ。今はその時期ではないからね。 必ずチャンスは来る。ゼプツェンが完成した時、ゼプツェンと一緒 に逃げよう。」
「パパ?」

「ゼプツェンが完成した夜、ここに来てゼプツェンを動かすんだ。 大丈夫、ソラリスの連中はゼプツェンが既に稼動できることを知ら ない。きっと上手く行くよ。それまでは大人しくしているんだよ。 分かったね。」
ニコラはそう言い終わると、マリアを腕から下ろし、手を引いてそ の場から立ち去った。