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シェバト(3)




 

そんな日々が数日続いた。
戦闘で負傷し、自分と同じようにユイの手当てを受ける者もいる。帰ってくる人数も少し ずつ減っている。昨日、言葉を交わした者が今日は戻ってこない。きっと、その屍をどこ かにさらしているのだろう。――戦争の宿命――。それでも、彼らは戦いを離れると人懐 っこかった。彼らは当たり前のようにヒュウガを受け入れ、ごく普通に接していた。敵で 無い限り区別はしない、友人として扱う。これがシェバトという国。皆シェバトを愛して いた。だから彼らは無謀だと分かりきっている戦いでも戦う。ヒュウガは悟った――。

死地で話すことと言えば、故郷のこと、家族のこと、子供の頃のこと、そして自分の帰りを待つ 恋人のこと。ヒュウガは自分のことはほとんど話さなかったが、いや、語るほどの思い出 を持っていなかったから、が正解なのだが、彼らの話に聞き入っていた。いつの頃からか、 話を聞くこと自体を楽しんでいた。彼らを知りすぎてしまうのは、軍人として危険である ことは薄々気は付いていた。それでもヒュウガは止められなかった。暖かい思い出、彼は それに飢えていたのかもしれない。例えそれが他人のものであっても――。



その日、残ったのはユイとヒュウガの二人だけだった。

「ヒュウガさん。貴方は自分のことは、ほとんど話さないのね。」
「……。」
「また、だんまりなの。」ユイはケラケラ笑った。
「そういうわけではなくて、私には何もないのです。」

ヒュウガはいつの頃からか、虚勢 を張るのを止めていた。ここでは守護天使でいる必要もない、ただの人でいたいと考えた から……。

「なにもないって、貴方にも両親くらいいるんでしょう?」
「両親は、私が子供の頃に亡くなりました。」
「ごめんなさい。」
ユイは、今の一言がヒュウガの傷をえぐってしまったことを、心から詫びた。伏せられた 彼女の長いまつげが、かすかにゆれている。

「!!」

ふいに、ユイの唇にヒュウガの唇が重ねられた。それは、ユイだけでなく、実はヒュウガ にとっても突然の出来事だった。ユイの視線を追っているうちに、彼の身体が無意識に動 いてしまったようだ。彼自身も自分の取った行動に戸惑っていた。けれども、暖かくて心 地よい……。そのまま彼女の身体を抱きしめた。抱きしめるとよく分かる、小柄で細い腰、 華奢な腕、それでいて豊かな胸。ふんわりとしてやわらかい髪。このまま自分のものにし ていまいたい、そんな衝動がヒュウガを突き上げる。

「……すいません。」
すんでのところで自分を抑えた。自分は“違う”のだ。相手が誰であっても、何をしても 良いわけではない。ヒュウガは彼女を腕から解放し、背を向けた。まだ、鼓動が激しい。 振り向いて彼女の顔を見ることは出来なかった。なぜなら、顔を見たらもう一度同じこと をしてしまいそうだったから。今度は抑えられる自信がない。ヒュウガは自分でない自分 に正直戸惑っていた。

「……ヒュウガ……さん?」
しばらくの沈黙の後、ユイが口を開く。
「……。」ヒュウガは黙っていた。

ユイの頬がほんのり色づいている。彼女も、どうしたらいいか分からなかった。考えたこ ともなかった。まさかヒュウガが……。

「……そういえば、…まだ、貴方の名前を…きちんと聞いていませんでしたね。……教え ていただけますか。」今までのヒュウガらしからぬ、たどたどしい口ぶり。これだけ言う のがやっとだった。

「……ユイ。……ユイ・ガスパールといいます。」
「ユイ、ですか。いい名前ですね。」
ヒュウガが自分から人に名前を尋ねるのは、これが初めてだった。ヒトにあまり興味を持 たなかったからだ。ましてや、いい名前などと――。

「……先ほどのことは、忘れてください。」
ヒュウガはユイの方に振り向いて言った。しかし、彼女の顔を直視することは出来なかっ た。いつもの冷静さを取り戻しつつあるヒュウガは、先ほどの自分の行為の虚しさを認識 していた。所詮、自分は――。



――何か来る!――



包囲されたのか?

ヒュウガは身を隠しつつ、外の様子を伺った。――森の奥に隠されたギアが2体と歩兵、 ただの偵察要員。敵襲というほどでもない。しかし、彼らがここまで来ているとなると、 ここも長くはないだろう。いずれ、ゲリラの潜伏地であることが判明し、全員が――。ヒ ュウガは頭(かぶり)を振った。しかし、今はこのままやり過ごすしかない。
ユイがおもむろに窓を開け、掃除を始めた。先ほどまでの無駄のない身のこなしとは違い、 しごく普通の女性。どこにでもいる普通の。森の陰に潜んでいる歩兵に全く気づいていな い……のどかな光景。
そうか。こうやって今まで、彼女は何度も我々の目を欺いてきたのか。ヒュウガは得心し た。けれども、もう時間の問題だ。要員たちは、これからずっとこの家に張り付き、この 家を監視していることだろう。ならば――。

“ユイさん”
ユイが外からうかがえない場所に移動したのを見計らって、ヒュウガが小声で呼んだ。

「彼らに連絡を取ることはできますか?」
「え? ええ。」
「では、ここから南東の山沿い、やや開けた場所に山岳にカムフラージュした臨時の物資 中継所があります。臨時ですから警備も手薄い。今の人数でも落とすことは可能でしょ う。」
「…ヒュウガさん?」
表情一つ変えず、自軍の急所を言うヒュウガの顔をユイは見つめた。この人は、いきなり 何を……。

そんなユイに構わず、ヒュウガは続ける。
「そこを落とした後、まだ余裕が残っていたら北にある物資中継所……ご存知ですか?」
ユイはうなずいた。

「ソラリスの中継所は他にも何箇所かありますが、そこが一番弱い。先ほど言った場所と ここを叩けば、物資が滞りソラリス軍は混乱する。この他にもう一箇所を叩けば、物資中 継網はズタズタになり、ここに展開するソラリス軍は完全に孤立する。」
「貴方はいったい……?」
でも、ヒュウガが嘘を言っているようには見えない。

「私の言ったことを、信じるも信じないもあなた方次第です。」
ヒュウガは一旦言葉を切り、ユイの両手を優しく握った。

「……私はあなた方を助けたい。貴方も気づいているのでしょう?」ヒュウガは顎で外を 指し示した。
「彼らはこの家をマークしました。少しでも怪しい動きを見せれば、すぐさま押し込んで くるでしょう。誰もこの家には戻ってはいけない。貴方もこの家を引き払わなければなら ない。先ほど言った臨時の中継所が敵襲されれば、一時的に彼らもここを離れざるを得な くなります。その時を逃さず、この家を出てください」

なおもヒュウガは続けた。
「シェバトの通信暗号コードは確か4種類。緊急用暗号コードが……1種類でしたね?」
「は、はい。」本来返事をするべきではないのだが、ヒュウガの真剣な面持ちにユイは正 直に返事をしてしまった。
「もしも第2の緊急用暗号コードがあるのでしたら、彼らへの連絡はそれを使用してくだ さい。ソラリスはまだその存在を知りません。」
「でも、それは……。」
「今が“シェバト存続に関わる緊急事態”です。たった一度だけ使いなさい。私はその存 在を知らない。今までも、そして“これから”も。」
「分かりました。」

ユイとヒュウガは部屋の奥、隠された通信室に向かった。

「あともうひとつだけ言っておきます。4つの通信暗号コードのうち、GAから始まるコ ードと、SAから始まるコードは2度と使ってはいけません。マスターキーをいくらスラ イドしたところで、既にソラリスは全パターンの解析を済ませています。そして、これの 解読アドインは各ギアや兵器に搭載されつつある。いくら会話に専用の隠語を用いたとこ ろで、もはやあまり意味を成さないでしょう。もし、無事に仲間と合流できたら、このこ とを伝えてください。」
「貴方は……」ユイはヒュウガの顔を見て、その先の言葉を飲み込んでしまった。
――それでいいの?
ヒュウガはひとつ頷いた。「これが私の…戦いです。」

所詮、自分は――ヒュウガ・リクドウなのだ。しかし、だからこそ出来る事がある。これ はそのための布石――。

ユイは彼の言葉を信じ、通信のスイッチを入れた。第一級緊急暗号コード――女王もしく はそれに順ずる者の許可無くば使用できない暗号コード。これを解析されることを防ぐた め、シェバトの人間は、いざという時には真っ先に通信機を破壊する決まりになっている。 ヒュウガは横を向き、ユイの通信を聞いていた――正しく伝えているだろうか――それが 気になった。

ピピキュキュンピー
聞きなれない信号パターン音。第一級緊急暗号コード――。



――行ったな――

身を隠し外をうかがっていたヒュウガは、ソラリス兵の気配が消えたのを感じ取った。
「ユイさん。今のうちです。ここを出てください。」
「貴方はどうするの?」
「私はソラリスに戻ります。私には、やらなければならないことがあるので。」
「また、敵同士なのね。」ユイがため息混じりに言った。
「そうなりますね。しかし、私は私。他の何者にもなれない。戻るところはあそこしかな いのです。……ならば、この場で私の息の根を止めますか?」

ヒュウガの言葉に、ユイは目を伏せ、いいえ、と首を横に振った。
「そうできたら、どんなに楽でしょうね。」
ヒュウガも首をゆっくり横に振った。
「私にもできません。あまりにもシェバトを知りすぎてしまいました。それでも、私はソ ラリスの軍人なのです。課せられた任務は遂行しなければならない。しかし。」
ヒュウガは言葉を切った。

「私がもし、戦いをやめたのならば……。」

続きます。