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シェバト(2)




 

…う……。

「気が付いたのね。」
あの時の女性だ。では私は?

「分かる? 貴方はここで倒れたのよ。」
そうか。あの時に気を失ったのか。
「ありがとう。また、貴方に助けられましたね。」
彼女の笑みにつられて、ヒュウガも微笑んだ。乾ききり、引き攣った微笑みで――微笑み など、今まで浮かべたことなどないのだ。彼は。

「すみません。あれから何日経ちましたか?」
「3日よ。」
「3日も……。」
まずいな。早く戻らなくては。本当に戦死として処理されてしまう。
「あ、起きては駄目。キズが開いてしまうわ。」
「ここに、こうしているわけにもいきません。行かなくてはいけない。」
ヒュウガは、制止を振り切って起き上がろうとする。
そんな彼に向かって、彼女は小声で言った。
「……別に貴方がいなくなっても、あの国の軍隊はちゃんと機能しているようよ。……ヒ ュウガ・リクドウ……さん。」

“ドキン!”

ヒュウガは縮み上がった。反射的に身体を起し、左腰の辺りを手で探る。――ない。
「刀なら、枕元に置いてあるわ。」
彼は慌てて振り向き、刀を手に取った。自分を守る大切な武器。彼にとって信じられるも のはこれだけだった。

それにしても、名乗ってなどいないはずだ。そんな暇はなかった。第一、この地で名を明 かすなど自殺行為に等しい。何故……?

ヒュウガは彼女の心を探るようにその顔を見た。彼女は笑っている。
「あら、違った?」
どうやら、白を切るのは難しいらしいな。ヒュウガはため息交じりに尋ねた。
「どうして、私の名を?」
「……知っているのか、ですって? うふふ。この国の人で、貴方の名前を知らない人は いないわよ。シェバト侵攻作戦の総指揮官でしょ?」
そうだ。今は戦争の真っ最中。しかも、ここはシェバトの領域だ。……全く理解ができな い。

ヒュウガは軽く目を閉じ、苦笑いを浮かべて首を振った。
「……いつから気が付いていた?」
「最初からよ。」
「最初? 眼があった時からか?」
そうよ、と彼女は言った。ヒュウガの中に疑問の嵐が巻き起こる。

私は彼女達、シェバトの国民にとって当然憎むべき敵のはず。何故殺さない。チャンスは いくらでもあったはずだ。手傷を負ってここへ来た。追ってきた彼等に引き渡してもいい。 さらに、この場で気を失った。それならば女の手でも楽に殺れた事だろう。そうだ、あの 傷なら放っておくだけで死んだはずだ。直接手を汚す必要すらない。何故、傷の手当てを し、私を助けたのだ。何故、何故、何故、何故……。

喉がカラカラに渇く。

やっと言葉が口をついて出た。
「……何故、『捜している男はここにいる』と、彼等に引き渡さなかった?」
彼女はぷっと吹き出した。
「何故って……貴方、死にたかったの?」
彼女はケラケラ笑う。その若さにふさわしい明るい笑い声。そぐわないのは会話の中身と、 その相手だけ。ヒュウガは笑われた事に当惑した。

「そうではない。あの時、私は追われていた。追手に引き渡せば全て終わったはずだ。」
一頻り笑い終えると彼女は答えた。
「貴方を追っていたのが、シェバトの人間ならね。」
「え?」
「理由は分からないけど、追手はソラリスの人間でしょう?」
彼女の言い様に、ヒュウガは飲まれてしまっている。
「……確かに。貴方にはそれが瞬時に判断出来たのか?」
「シェバトの人なら、扉など叩く必要が無いわよ。皆、ここの鍵を持っているから。」
「???」ヒュウガは目をパチクリさせた。
「あ、分からない? ここ、ゲリラの隠れ家よ。」

―――――――なんてことだ!

衝撃のあまり、ヒュウガは硬直した。
私は虎を避けて、狼の口の中に飛び込んでしまったのか……。ふふ、私もここで終わりか。

暫くの沈黙の後、彼は不敵な笑いを浮かべた。
「私に何が聞きたい? わざわざ生かしておいた理由は?」
ソラリスならば、昼夜にわたり手段を問わない執拗な尋問、それでも口を割らない場合は 身体に直接聞くことになっている。もちろん結果が全て。結果のためならどんな手法を用 いてもいい。覚悟は出来ている。どんな目にあわされてもラムズなどに屈服などしない。
けれども、この質問に対する彼女の返事は、ヒュウガの予想外のものだった。

「別に……。貴方がソラリスの人間に追われていたから。」
「え?」
「ソラリスに追われているってことは、何らかの理由でソラリスから離反したってことで しょう? 貴方がソラリスに関係が無ければ、私達は戦う必要がないってわけ。もちろん 貴方の命を狙う必要もね。……でも、私の推測は外れたようね。」

彼女の眼付きが少し鋭くなった。命の値踏みをしているのか。それとも勝敗をシミュレー トしているのか。だが、ヒュウガはこの女性を斬る気なんぞさらさら無かった。理由はど うであれ、仮にも命の恩人である。彼の誇りにかけて、そんなマネは出来ない。
もう少し様子を見よう。彼は話を引き伸ばす事にした。

「貴方は戦う必要がないと言うが、ソラリスに離反してようとしていまいと、私がソラリ スの人間であることには変わりがない。ましてや、シェバトに甚大な被害を与えた人間だ。 犠牲者の数は計り知れない。それは知っているのだろう? 私の身体には、人々の返り血 と涙と恨みが染み付いている。私を殺したくて当然なのではないのか?」
喋れば喋るほど、自分が小さくなっていくのを感じる。虚勢のための、ぞんざいな口調。 そんなものも、しらじらしく感じてしまう。

「そうね。でも、そんなこと無駄なだけだもの。」
無駄だと?
ヒュウガは、無駄よばわりされた自分が、さらに小さくなった気がした。
「どういうことだ?」
「私たちは、別に貴方個人と戦っている訳じゃなくて、シェバトに攻め込んできたソラリ ス軍と戦ってるのよ。だから、貴方が司令官でなければ命をとる必要も無いし、ソラリス の軍人でなければ戦う必要すらないの。もちろん、犯した罪の償いは何らかの形でしなけ ればならないと思うけれど、それとこれは違うでしょう? 私たちはシェバトに平和をも たらしたいだけなの。だから、ソラリス軍と戦うの。」

「恨みなどはどうなるんだ? 私が奪ってしまった命の……。」
ヒュウガは言葉を続けられなくなった。自分の口調の中に、ラムズなどに同情している感 情があったことを気づいてしまったからだ。我らアバルとは違い、ラムズは愚かで野卑な もの、だからラムズを管理しなければならない。彼はユーゲントでそう叩き込まれていた。 自分の源流がラムズだとしても、自分は違う、アバル側の人間だ。だから、ラムズに対し どんな仕打ちでも平気で出来る。良心の呵責なんぞ感じる必要もなかった。虫けらを殺す のにいちいち同情なんぞしていられない、そのはずだった。

「恨み? 無いといえば嘘になるわね。でも、それは個人レベルの問題でしょう? 私達 には関係ないわ。言うなれば、貴方もただの部品(パーツ)の一つに過ぎない。パーツを 一つ壊したところで、ソラリスはまた代わりのパーツを用意するわ。」
痛いところを……。
ヒュウガは一瞬顔を引きつらせた。

「私たちは、ソラリスにシェバト侵攻を止めさせたいの。そのために、補給地点など比較 的弱い部分をたたくわ。でも、貴方は何のために戦っているの?」
「えっ?」
「貴方の戦いに理由があるの?」
ユイの鋭い問いにヒュウガは焦った。

「……それは、作戦上言うことが出来ない。」
「その“作戦上言えない理由”は、ソラリスの理由でしょう? 私が聞きたいのは“貴方 個人の理由”。シェバトの私たちが戦うように、貴方には、はっきりとした理由があるの?」
「……。」
軍人に私情は厳禁。命令は全て上意下達で行われる。命令が全てだ。個人の私情や思念な どあってはならない。だから、ヒュウガも何も考えないようにしていた。

ヒュウガの沈黙に、ふう、とユイはため息をついた。
「……やっぱり。貴方に“も”ないのね……。」
貴方にもだと?
ユイの物言いが妙に気に障った。

「どういうことだ?」
「……どういうことかしらね。貴方に戦う理由がないとすれば、傷が癒えるまでしばらく ここにいた方がいいわ。私たちも、貴方がここにいる限り命を狙う必要はないしね。それ に、私の言葉の意味が知りたかったら……。」
どやどやと定宿としている連中が戻って来た。
シッ。間違っても、今でもソラリスの軍人だと言わないで。“今だけ”でいいから。お互 いのために、ね。
ヒュウガはコクリと頷いた。



連中の中に、何人か見知った顔がいる。敵として対峙した者達。死と恐怖にひれ伏すこと なく、誇りをかけて立ち向かって来た者。ある者は死、ある者は傷つき、ある者は生き延 びた。

それが私に話し掛けてくる。あの時とは違い、人懐こい柔和な笑みを浮かべて。
「あんた。気が付いて良かったな。」
「ええ。」
皆、心から私を心配してくれているのがその態度と口調から分かる。私はこの者達と戦っ ていたのか。

ヒュウガは本当のことを言えない自分に対し、少し恥ずかしくなった。だが、正直に告白 したところで、ここで殺し合いが起こるだけだ。今は彼らと戦いたくはない。
彼は敵であるはずの連中と当たり障りのない雑談を交わしながら、味方といた時には感じ たことのなかった、“安らぎ”を何故か感じた。決して心を許すわけではないが、虚勢を 張る必要も、神経を研ぎ澄ます必要も、ここには無かった。ただの負傷兵。それがヒュウ ガにとって最も楽なことだった。

ソラリスには信頼や信用などはなかった。あるのは、裏切り、暗殺、密告だ。規律は力に よって保たれる。それが全てだ。力のあるものだけが上に行き、敗れたものは消え去る。 負傷者は再生できる傷か否かで、後の処理が決まる。再起不能と判断された場合、彼らを 待ち受ける運命は……。だから、皆必死だ。下級兵士は何でもする、特に3級市民出の者 は。子供の頃からたっぷりとソラリスの真実を知り尽くしているからだ。3級市民の運命 から逃れるためには、兵士となり、のし上がるしかない。
それに、捕らえたラムズ達においては、これを上回る過酷な運命が待っている。ソラリス 人はほとんど、ラムズは下等であり自分たちは彼らの殺生与奪の権利を持っていると、教 え込まれている。だから平気で惨い扱いをしている。ある者は実験に使われ、またある者 は材料にされ、ある者は……。

ここは“違う”のか?
話にひと区切りがつくと、さりげなく会話を切り、ヒュウガは横になった。



――彼らは違うのか?

続きます。