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機密事項





「ユイ。」
シタンは部屋を出るなり、ユイを呼んだ。シタンの表情は険しい。

「どうしたの。」
「フェイが狙撃された。」
「そんな。」
ユイは息を呑んだ。

「間違いない。フェイが連れてきた“さい”からはから毒針が見つかった。 多分、“さい”はフェイの代わりに撃たれたのだろう。私はこれから毒物の分析を するので、私の代わりにフェイの様子を見ていてくれ。」
「分かりました。」
「フェイはまた狙われるだろう。だから、今晩は彼にここに居てもらおうと 思う。ここの方が守りやすいからね。」
ユイの目つきも厳しくなった。二人が出会った頃のように。

「ユイ。」
そんなユイに対して、シタンが表情を崩し、優しく言った。
「そこまで心配することはないよ。貴方なら出来る。 だから、気を楽にして。フェイに気取られないようにね。」
シタンはユイの額に軽くキスをした。





シタンは針の中の毒物に対し、あらゆる分析を行った。サンプルが微量の為、 同時に“さい”の血液を採取し、同様に分析を行った。各分析の結果から、 考えられる限りの有機化合物の化学式の組み合わせが、コンピューター上に はじき出される。
シタンはその中から、有毒ではないもの、既に知られているものを はずしていった。

……1時間……2時間……時間だけが過ぎていく。
シタンの周りは既に朱色に染まっていた。



「フェイ。食べないの?」
「ユイさん。悪いけど、今は食欲が無いんだ。」
フェイがすまなそうに答えた。

「そう。じゃあ、片づけるわね。」
ユイは何気なく、周りの気配を探る。
「フェイ。暗くなってきたから、ここのカーテンを閉めるわよ。」

窓から外を見たとき、ユイは物陰に隠れる影を見た。



「間違いない。これだ。」

薄闇が近づく中、キーボードを叩いてシタンがつぶやいた。
「なるほど。生物の免疫システムを利用したドミノ方式か。 A剤によって出来た免疫成分にB剤を反応させ、A剤免疫と B剤との反応によって発生する(A'+B)免疫にC剤、D剤……と 次々に同じように反応させるわけだな。これは時限方式でもある。 一連の免疫反応のどこかで、身体が耐えられなくなった時点で死が訪れるのか。 最後まで耐えられた場合、予想される最終死因は……。」

トン!
シタンはリターンキーを叩いた。

「……呼吸不全による窒息死!」

モニターの光に照らされ、薄暗がりの中、シタンの顔が不気味に浮き上がる。
「やっかいだな。反応がどこまで進んでいるかによって、解毒剤の種類が 違うわけか。投与のタイミングがシビアだな。」

「あなた。」

振り向くと背後にユイが立っていた。

「ユイ。何かあったのかい?」
「外で、誰かが様子を窺っているわ。」
「やはりな。」

シタンは腕組みをし、しばらく足踏みしていた。
「彼には、どうしてもここに居てもらわねばならないね。」

やってみるしかないか……。

シタンは早急に解毒剤の製造に取り掛かった。





「先生。」
「フェイ。ここに来てから全く食べないようですね。食事を取らないと身体が 持ちませんよ。」
「食事なんてのどを通るわけがないじゃないかっ。」
フェイの眼は潤んでいて、シタンは肩をそびやかした。

「そうですね。フェイ。この子の様子はどうですか。」
ううん、フェイは首を横に振った。
「さっきから呼びかけても反応が無いんだ。身体もものすごく熱いし……。 先生、俺どうしたらいいんだろ。」
シタンはフェイの言葉を聞きながら、手早く体温や脈、呼吸を調べた。

呼吸が弱過ぎる。脈も途切れ途切れだ。……もう手遅れかもしれない。 どうやら、体が小さい分、ヒトよりも毒に対する反応がはるかに 早かったようだ。
シタンは解毒剤と共に、強心剤等を投与した。

「はっきり言います。確率は1/3。いや、もっと悪いかもしれない。」
「先生……?」
見上げるフェイの眼に、シタンはゆっくりと首を横に振った。
「事実は事実です。助かるか、助からないかは今夜決まります。」
シタンの言葉に、フェイの眼から涙が零れ落ちた。

「フェイ……。」

涙……か。演技とは違うな。この子はこれっぽっちにことで涙が流せるのか。 なるほど、この子は“彼”とは違うのだな。
シタンは感心すると共に、心にほんの少しの罪悪感を覚えた。

「さあ涙を拭いて。まだ死んだわけではありません。この子は今、 生きているのですから。この小さな身体で、懸命に病気と闘っているんです。 その側で、貴方がぽろぽろと泣いていたら、この子も力が出せませんよ。」
ぽんぽん、シタンは神妙な面持ちでフェイの背中に手を回し、 暖かく肩を叩いた。

「分かったよ、先生。」
フェイは、ぐすっと鼻水をすすって笑った。



カチカチ……。
時計の針は進む。

“さい”の子の熱はますます高く、呼吸はさらに弱くなっていく。

シタンは、解熱剤の投与、ブドウ糖や解毒剤の点滴など、あらゆる措置を 行った。フェイはそれを息を詰めて見守っている。
“さい”の子はシタンの予想をはるかにこえて生き続けた。もちろん、 シタンも出来る限りの措置は行っていたが。生きたい――、そんな声が 聞えてくるようであった。

しかし、巨大な力の前ではそんな想いは何の意味も成さない。



“ハア”

それが最後の呼吸。

小さな小さな音だった。



残されたのは、、フェイの喉の奥から漏れる、忍び泣きの声だけ。

窓の外では、朝もやの中、鳥達が夜明けの喜びの歌を声高らかにうたっていた。



死んだか……しかし、この死は利用させてもらう。
シタンは言葉も無く部屋を出ていった。

フェイはただ泣いていた―――。



「だめだったよ。」
ユイと顔が合った途端、シタンは首を横に振った。

「そう……。フェイは?」
「部屋で泣いているよ。ところでユイ、貴方に頼みたいことがある。」
「なに?」

シタンはそっと耳打ちをした。
「そんな……。」
ユイの眼が丸くなる。

シタンは、彼女の顔を覗き込み、自信に満ちた顔つきでその眼を見つめた。

「大丈夫。推測通り彼らの差し金なら、絶対に貴方やミドリを撃ったりは しないよ。昨日の失敗で神経質になっているはずだからね。 私に気付かれないように細心の注意を払うよ。遂行する前に私に気付かれたら 終りだからね。だから、分かったね。貴方ならできるよ。」
「……ええ。」
ユイの顔は不安げだった。



扉を開けると、フェイが泣いていた。身動きもせず、じっと立ったまま、 両手を握り締めて。“さい”の子を見つめて。

「フェイ。」

フェイは肩を小刻みに震わせていた。
「ユイさん。……死んじゃったよ……。」
ユイは一つ頷いた。
「ええ。あの人から聞いたわ。可哀想だったわね。 あんなに可愛がっていたのに。」

うわぁぁっ!

フェイはユイの胸に飛び込み、泣いた。

「ユイさん。俺。俺……何もできなかったんだよ。あんなに苦しんでいたのに。 治ったら、一緒に山に行こうって言ったのに。なのに……。」
「フェイ……。」



扉の向こう側では、シタンが頭(こうべ)を垂れていた。薄笑みを浮かべて。

扉の外までフェイの泣き声が漏れてくる。

やれやれ、“フェイ”の方が“彼”よりも、よほどヒトらしいとはね……。



「……フェイ。」
ひとしきり、フェイを抱きしめた後、ユイが口を開いた。

ピクン

フェイの泣き声が止まった。
「あ、ごめんなさい。俺、つい……。」
申し訳なさそうに上目遣いで見上げるフェイに対して、ユイの瞳は優しかった。

「いいのよ。フェイ。この子だって、きっと満足しているわよ。 貴方にたくさん可愛がられたもの。ね、フェイ。後でこの子を眠らせて あげましょう。景色の良い場所に。きっと喜ぶわよ。ね。」
言った後、彼女は優しく微笑んだ。綿帽子のように優しく。

「うん……そうだね。」
悲しみの涙で冷え切ったフェイの心は、綿帽子に包まれ、少しずつ暖められていく。
「そうだ。裏山の一本杉のあたりがいいかもしれないわ。フェイ。あそこなら、 眺めも良いし、色々な小動物も集まるからにぎやかだし、ここからあまり 遠くもないから、貴方もちょくちょく遊びに行けるわよ。そうでしょ?」
ユイは精一杯明るい声で語り掛けた。

「ね、フェイ。後で少し歩くことになるから、食事をして、昼まで少しだけ 寝ましょう。今から仕度するから。ね。」
「ありがとう。ユイさん。」
フェイも微笑み返した。



ユイは仕度をするため、部屋を出た。

“ユイ。昼ごろフェイを連れ出してくれないか。できれば、裏手の山の中腹にある 広場のあたりに……。”
ユイの耳には先ほどのシタンの声がこだましていた。



「フェイ。起きた?」

「ん……。」
もちろんフェイは眠れる心境ではなかったが、暖かい食事を取り身体が 温まった頃、気が緩んだのか眠り込んでしまっていた。

「こちらの準備はできているわよ。」
見ればユイは真っ白な箱を抱えていた。箱からこぼれる微かな花の香りが、 フェイの心をきゅんと締め付けた。

「ユイさん……それ、俺が持つよ。」
フェイはユイから箱を受け取った。箱はずっしりと重い。しかし、それ以上に フェイの心は重かった。

つんつん。
ミドリがユイのスカートを引っ張った。

「ミドリ……。貴方も行くの?」
“うん”
ミドリが可愛くうなずいた。
「……分かったわ。一緒に行きましょうね。」
間を置いてから、ユイはミドリを抱き上げて胸に抱えた。――しっかりと。 両腕で包み込むように。

「行きましょう。フェイ。」
そのフェイは、けげんそうに周りを見回している。
「どうしたの?」

当然、来るであろう人がいない。

「あれ? 先生は?」
さっと、ユイの顔が曇る。
その変化に、フェイはまずいことを聞いたのかなと思った。
「……部屋に閉じ篭っているわ。今は放っておいてあげて……。」

(貴方の期待に添うことが出来ませんでしたからね……。)
フェイには、そんな声が聞えたような気がした。

「先生……。」