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エピソード5.x(17)

(おことわり:この文章は1ファンの手によるファン小説であり、実際のゲームやゲーム会社とは 一切関係ありません。)



薄暗い、薄暗い部屋。
むっとした湿度の高い空気がここの住人。

それと、ぴちゃぴちゃと、まるでここに果てた者の骨をでも、 しゃぶりつくしているような水音。
天井から染み出して、床に落ちる……水。
床からは亡者の魂のような冷気が湧き上がり、新たな仲間を呼び込むように、身体に まとわりついてくる。
灯かりは松明だけ。

バルトは希望もなく、松明の炎をただぼんやりと見ていた。たったひとり……、いや ひとりではない……。

ゆらっ。
松明がゆれた。
外のひんやりとしたかすかな風が流れ込んでくる。
足音と人声。

「……また、あのガキ共の相手かよ。」
「……そうグチるな。あのガキゃ、いたぶりがいがあるってもんだぜ。」
「……だから生意気なんだよ。あのクソガキ、気に障るぜ! ガキはガキらしく、泣き喚きゃいいだよ。あのクソッ生意気なツラぁ見たか?」
「……ああ。」
「……ガキのくせに、いっぱしの王族のつもりだぜ。何が王族だ! 俺達と何が違うってんだよ。」
「……あんまりやりすぎるなよ。こっちは碧玉の秘密を白状させればいいんだからな。」
「……分かってるさ。」
「……この間みたいに、失神するまでやるなよな。ガキ相手に大人げないぜ。」
「チッ!」

足音が近づいてくる。
もうじき、“また”、牢の扉が開くだろう。

“おにいちゃん”
マルーが脅えた目をして縋り付いてきた。多分、気配で目を覚ましたのかもしれない。

「心配するな。やつらは、マルーには何もしないよ。」
今のバルトには、優しい声をかけて、背中に両腕を回し、マルーを抱きかかえて 安心させるのが精一杯だった。
「やつらは用があるのは……“俺”だ。」
彼女を庇い、彼女の全てを支えるには、バルトはまだ、あまりにも幼すぎた。バルト自身も 誰かに支えて欲しかった――。

「出ろっ。」
バルトの身体はまだ小さく、そして軽かった。大人達は、バルトの襟ぐりを鷲づかみにし 身体を軽々と持ち上げると、牢の外にどさりと放り投げた。

「ほら、さっさと歩け。」





バルトの背中で惨い音が鳴り響く。昨日出来たばかりの傷跡が破れ、また新たな傷が 刻みつけられていく。バルトは黙って歯を食いしばるしかなかった。他の術を 持たなかったから。

“ぐうぅ……”
背中の傷の痛みよりも、惨い音よりも、途切れることのないマルーの悲鳴が バルトの心を切り刻む。彼らは、バルトだけでなくマルーからも秘密を聞き出すため、 マルーの目前でバルトを鞭打っているのだ。“秘密を喋れば、彼を助けてやる”と いう言葉と共に。
もちろん、あまりに幼すぎるマルーにそれが理解できるはずも無く、ただただ、マルーの心は 壊されていくだけだった。自分は小さく無力だと……。

父上!
母上!
あの光差し込むまぶしい日々は、もうどこにもない。

バルトですら碧玉の秘密はきちんと知らされていなかった。けれども、知っていても 知らなくても、それを喋ってしまったら“自分達は用済み”になることは、幼いながらも バルトも理解していた。だから、今はひたすら黙って耐えるしかなかった。たとえ、 出口のないトンネルの真っ只中にいたとしても―――。
それが何年かかろうとも―――。



死んでたまるか!
俺は生きてここを出るんだ!

マルーを救ってや―――



……ああ、夢か……

バルトが夢から覚めると、シグルドがこちらをじっと見ていた。
手には鎖。ガチャガチャと音を立てている。先ほどまでオモチャにしていたのかもしれない。 バルトが遥か遠い昔の夢を見たのも、この鎖の音のせいだろう。

「あんときゃ、シグ、お前が俺をその鎖から救い出してくれたのに……。なのに、 どうして、この俺が鎖なんかを、お前にはめなきゃならないんだよ。」

くそっ!
このやりきれなさに、バルトは拳で床を打った。何度も、何度も。拳が切れ、そこから血がにじむ。 そうでもしないといられなかった……。



“え?”
不意に暖かい手が頭をなでた。よしよし、と。
―――不幸な過去に塗りつぶされかけていた、幼い頃の懐かしい感触。バルトの荒んだ心を 解かすような―――。

「父上?」
顔を上げると、その暖かい手はバルトの頬に触れた。
暖かい手の持ち主は、両膝を付き腰をかがめて、バルトの顔を下から心配するように 覗き込んでいた。

……ダイジョウブ?……
驚いたバルトが床を打つのを止めると、バルトの右手を取り、裂けた傷をいたわるように 両手で優しくなでる。そして、バルトの顔を見て、首を横に振った。悲しげな笑顔を浮かべて。
……ソンナコトシチャダメダヨ……

「……シグ……。」バルトは彼の名を呼んでみた。

……?……
シグルドは不思議な表情を浮かべ、首を横に傾(かし)げた。

「……シグ。まだ正気じゃないのか?」
思わずバルトは膝をひきずり、シグルドに 近づいて見た。息が直接かかるほどの距離。

……?……
また、不思議そうな顔。どうやら、自分の名前すら、まだ分かっていないようだ。

「……シグ……。」
バルトの目に涙が溜まってくる。泣くつもりはなくても、初めて他人を見るような顔をする 兄をみると、心からとめどなく溢れて出してしまうものがある。
シグルドの指が、バルトの瞳に溜まった涙を拭った。

……オトコノコガナイチャダメダヨ……
再びシグルドがそうとでも言うように、首を横に振った。

「シグ!」
バルトは力いっぱいシグルド――兄――を抱きしめた。

あの日、兄はメイソン卿とともに堅固な牢をぶち破って入ってきた――。 中に傷つき倒れていたバルトは起き上がる力もなかった。が、看守を倒し、 自分達のいる牢に近づいてくる戦士達の物音に、よろよろと起き上がり、 自分の背の後ろにマルーを隠した。……その行為に、なんの意味もないことは分かっていた。 まだ自分は小さすぎる、と。それでも、せめてマルーだけは助けたかった。 それが、あの時のバルトの偽らざる気持ちだった。
乱暴な音を立てて、バルト達の牢の扉がいきなり開いた。
バルトの後ろで、身をこわばらせたマルー。

“こわい”
“怖くなんてないさ。マルーには俺がいる。”
そう優しく言ってバルトは、マルーを庇いながら侵入者を精一杯睨みつけた。

“誰ぞ! 我に用か!”
“バルトロメイ……さ…ま?”
“え?”

およそ戦士には似つかわしくない穏やかな笑顔を浮かべた兄は、優しくその名を呼ばれ、 思わず気が緩み崩れ落ちようとする幼き弟を、その胸に抱き上げた。――軽々と。
兄は返り血を浴び、生々しい戦士のオーラを放ってはいたが、その胸の中は、誰よりも暖かく、 どこか懐かしい匂いのする、他のどの場所よりも居心地のいい場所だった。 ――父と母の胸の中を除いて――。その居心地のよさの理由は、半年前、それこそ 碧玉の秘密を解き明かした時に、初めて分かったのだが。
血を分かち合った兄弟だったと。
父が以前、何度も自分話していた“兄”そのものだったと。

バルトはもう一度シグルドの顔を見た。両腕に抱(いだ)かれ無邪気な幼児の笑顔。 ひょっとしたら、心が戻りはじめているのかもしれない。

……ウレシイナ……



ゆったりと流れていた穏やかで暖かい空気が、とたんに凍りつき、震えだす。

うう……く…。

シグルドの天使の表情が、にわかに曇りだし変わっていく。口は真一文字に結ばれ、 一転の曇りも無いあどけなかった眼がつり上がっていった。悪鬼へと―――。

……よこせ……

シグルドの血走った目がバルトに向けられる。バルトの背に回された手と指に力が入る。
「……シグ……苦しいのか……。」

……よこせ……

シグルドがバルトの身体を揺さぶり始める。

……よこせ……

バルトは、兄の混乱を抑えるように、力いっぱいその身体を抱きしめた。そうせずには いられなかった。

……オニイチャン?……

うう……ああっ!
突然、シグルドが手を離し、自分の頭を抱え込んだ。

……イヤダイヤダイヤダ……

シグルドの表情に、悪鬼と天使が何度も何度も交差する。

……よ…こ……

シグルドの混乱はさらに大きくなり、バルトの腕を振り払った。

……コンナコト……シタクナ……イ……

シグルドはバルトの顔を見ると、両膝を付いたまま、怯えた表情で首を横に振った。

……よ……こ……せ……

また表情が悪鬼と変わった。
膝を起こし、両腕を広げ、拳を握り締め、今にもバルトに飛び掛らんと身構える。 口を半開きにし、嘲笑っているかのような顔は、今から獲物を血祭りにすることを 楽しみにしている、悪魔のようである。

いつでも兄は、戦うことを好んでいなかったのに……バルトは、シグルドの今の姿を見て、 救出後の海賊暮らしの時代を思い起こしていた。バルトが“やりすぎて”しまった後は、 必ず叱り飛ばし、その後時間を改めてから、メイソンの暖かいお茶とその優しい語り口で、 いさめてくれたものだ。喉を潤すお茶とともに、優しいシグルドの言葉は、 バルトのカサついた心に充分に染み入り、人間らしい潤いを与えるのが常だった。 まるで、枯れ果てた大地が水を吸い込むように、充分水を蓄えた大地が、その力で生命を育むように。

そう、最初は父と母の仇を取る事だけを、バルトはひたすら願っていた。
シャーカーンの下(もと)、ゆがんだアヴェの枠組みの中で狂わされ、踏みにじられていく 国民のことなど、これっぽっちも考えたことはなかった。
仇を取るためだけに、“大人”に怯え、“暗闇”に怯え、“鞭”に怯える自分自身を、 バルトは一つ一つ、焦ることなく確実に克服していったのである。

『今はまだ、その時ではありません。』

度々繰り返されるシグルドのその言葉に、バルトはどれほどいきり立ったことか。
ユグドラシルの発見。ブリガンディアの改修。自分たちの下に、続々集まってくる 志を同じくする同志達。シグルドの言葉に隠された本当の意味を悟るまでに、 バルトはかなりの時間を要した。

『若の家だから取り返したいんです。』
奪回前日、はじめてシグルドの本心を聞いた。12年……あまりに長い日々。 その間、兄は幼すぎる弟に対し、何を思っていたのだろう。


……よ……こ……せ……ぇ……
ハッ!
シグルドの両腕がバルトに襲い掛かってきた。今のシグルドは、“兄”ではない。 ただのドライブの奴隷である。

“ぐぐぐぅ”
避けたはいいが背中に回りこまれ、巻きつけられた腕にぐいぐいと首を締め上げられる。
……ょ……こ……せ……ぇ……
断末魔の苦しみを喜ぶ、狂った笑い。もがいても外れない腕。 最後まで諦めるわけには行かない――。兄のために――。

……イヤダァ!!……
ふいに腕の力が緩んだ。バルトは咳き込み苦しみもがきながらも、素早く、シタンの 医療キッドの中から、治療用の鎮静剤を取り出し、シグルドに打った。――兄のために。
目覚めかけた心を、再び押さえつけることは分かっていたが……。

「シグ!」
バルトは倒れる兄を抱きしめた。


――そうだ。今度は“俺が待つ”番だ。
決して焦ってはいけない。兄は12年もの間、自分がヒトとして成長することを 待ってくれていたのだから。それに比べたら……自分は何を焦っていたのだろう。
それに、いつまでも国を放り出しているわけにはいかない。
兄は……国民は、自分に対して、全てを託してくれているのだから。


「シグ。しばらく淋しくなるけど、待っていてくれよな。治ったら……」

こんなことを繰り返していて治るのだろうか? いや、今は信じるしかない。

「……治ったら、またメイソンのお茶を飲もうぜ!!」