TOPへ戻る 目次へ戻る エピソード5.x(12)へ エピソード5.x(14)へ

エピソード5.x(13)





「………。」
「………。」

「……話し声?……誰……?」

エリィは眼を開けた。扉の近くに人が立っている。背の高い……男?

「……そこに誰かいるの?」

人影は真っ直ぐエリィに近づいてきた。妖しい笑みを浮かべて……笑み?

「誰……貴方は……?」

人影はゆっくりと両手を伸ばした。その手は……エリィの……喉元に。

「貴方は……。……苦し……い……止めて!」
エリィは眼を閉じ、渾身の力を込めて男を突き飛ばした。喉が痛い。 身体が重い。眼が開かない。


「エリィ!」

「……フェイ?」
「どうしたんだよ。急に大声なんか上げて。」
目の前にフェイの顔があった。

夢だったのかしら?
エリィは辺りを見回してみる。しかし、何も変わった様子が無い。

「エリィ。エリィ! どうしたんだよ。」
ぼんやりと周りを見回すエリィに、フェイは肩を掴み揺さ振った。エリィの 身体がガクガクとゆれる。

「ううん。何でもないわ。夢を見たの。」
「夢?」
「そう。悪い夢。……とっても……否な夢。」

そう、あれは夢。





いつもの往診。
シタンの型通りの診察と質問。
しかし、今日は違った。

「先生。」

村の入り口に落ち着かない様子でバルトが立っていた。寝ていないのか、少し 顔色が悪い。

「若くん。どうしましたか?」
「シグが……。」
やはり薬の副反応があったのか? さっとシタンの顔に不安の色がよぎった。

「シグルドに何か?」
「夕べ、シグが……。」
「死んだんですかっ?!」

思わず口が滑ってしまったシタン。バルトは強く首を横に振った。
「違うんだ、先生。シグが、喋ったんだ。」
良かった。シタンはほっと安堵の息を漏らした。

「で、シグルドは何と言ったんですか?」
「それが……。」
「それが? はっきり言って下さい!」
バルトの話は要領を得ない。そのバルトに対して、シタンは自分が 苛立っていることに全く気付かなかった。

「それが、一言だけなんだけど。」
「一言……だけ? ……とにかく診てみましょう。」
シタンはその他の往診の予定を全てすっ飛ばすことにした。



コンコン。
「おはようございます。」
「あっ先生。おはよう。」
フェイとエリィが玄関まで出てきた。

「朝からすみません。」
エリィは、シタンと目があった瞬間、不自然に目を逸らした。
「エリィ。どうかしましたか?」
「え? ええ。何でもありません。」
返事もどこかぎこちない。



シグルドはいつもと全く変わらない様子で座っていた。

「シグルド。シグルド。私が分かりますか?」
シタンが顔を覗き込み、話し掛けてみる。
シグルドは一瞬だけシタンと目を合わせるが、特に興味を持つ訳でもなく、 シタンの後ろの窓をぼんやりと眺めていた。
何度か試みるが、やはり返事は返ってこない。

シタンはがっかりしたような、それでいてホッとしたような想いを持ち、 診察を行った。
体温、心拍数、呼吸音……すべて平常。身体のどこにも異常は見られない。 ただ、心だけが、ない。それだけ。
心だけ。

ココロ。

それが重要なのに。

今言えることは、副作用はなさそうだということだ。
シタンは、この処方を続けることにした。

「先生。」
「若くん。良くなっているかどうかは、はっきり言えません。しかし、 どうやらこれ以上悪くなることはなさそうですよ。」
久々にバルトの顔に光が差し込んだ。



シタンはふと気になってフェイに尋ねてみた。
「フェイ。エリィの様子がおかしいようですが。貴方は何か心当たりは ありませんか?」
「そうかなぁ。いつもと同じだと思うけどな。……そういえば、昨日も夜中に 飛び起きてたな。悪い夢を見たとか言って。」
フェイは腕を組み、首を傾げる。
シタンはフェイの言った内容に引っかかるものを感じた。

「昨日“も”? よくあることなんですか?」
「今月に入ってから何回かあったよ。」
フェイはのんきなものだ。
「フェイ……。度々悪い夢を見る時は、病気が隠れていることがあるんです。 ついでにエリィの具合も診てみましょう。」
「頼んだよ。先生。」



「エリィ。ちょっといいですか?」
「何ですか。先生。」
シタンは目を合わせないエリィに不審を抱いた。シタンはスタスタと台所に 入り、紅茶を入れようとしていた彼女の正面に廻り込んだ。

「率直に言います。貴方の様子がおかしいようですが、 何かあったんですか?」
「い、いいえ……別に……。」
「フェイから聞いています。夜中に飛び起きたそうですね。どうしました?」
「何でもありません。」
エリィは言いたくなさそうだった。

「夢でも見たのですか?」
「えっ? ええ……まあ。」
「夢は重い病気の前兆のこともよくあります。私に内容を教えて 頂けますか?」
「でも、夢だから……。」
シタンは肩を竦めた。
「はっきり言います。エリィ。貴方の今の態度といい、放ってはおけません。 何か悩み事でもあるのですか?」

ふうっ。

エリィは大きく息を吸い、一気に吐いた。
「……実は、たびたび、おかしな夢を見るんです。」

「おかしな夢? どのような夢なのですか?」
シタンは聞き返した。
「……。」
エリィは黙っている。

「エリィ?」

「……最初は、扉が開きました。」
「扉が?」
彼女の言うことが、シタンにはどうも飲み込めない。

「そこから、人がのぞいて、私のことをじっと見ていました。」
扉とは、彼女の深層心理を表わしているのか? それとも隠れた 病気か? まさか……それはもう一人の“彼女”なのか? ――ミァン――と いう名の。彼女がまた現れるとでもいうのか?

「その人物は、女性でしたか? 顔は見えましたか?」
「……いいえ、顔は分かりません。背が高くて……男性のようでした。」 エリィは懸命に記憶を手繰る。
男性。では、ミァンではないな。シタンは続けた。

「夢は、その他にも見たのですか?」
「ええ。夢を見るたびに、その人は少しずつ私に近づいてきて。昨日、 とうとう……首を……。」
「首を?」
「首を絞めたんです! 私の首を。凍り付くような笑みを浮かべて。」 エリィは両手で顔を覆った。よほど恐ろしかったのだろう。彼女の肩は 小刻みに震えていた。

「エリィ。」

これはただの夢ではない。そう思ったシタンは、彼女の肩にそっと手を 乗せて優しく声をかけた。
「私の思い過ごしのようでしたね。貴方の言った通り、単なる夢ですよ。 安心して下さい。……ひょっとしたら逆夢と呼ばれるものかもしれませんね。」
「逆夢?」
エリィが手の間から顔をのぞかせる。

「そう。良いことが起こる前触れです。貴方も子宝に恵まれる かもしれませんよ。」
ぷっ。エリィが吹き出した。
「先生。それしか興味がないんですか?」
「ええ。そうですよ。」
シタンはキッパリ言い切った。

「あ〜あ。気にして損したわ。このお茶すっかり冷めちゃったわね。 入れ直そうっと。」
シタンに話してすっきりしたのか、冷めたお湯を温め直すエリィの背中は、 はずんでいた。

戸口付近に立ってそんな彼女を見ていたシタンを、フェイがぽんとたたいた。
「先生。何を話してたんだい? エリィの笑い声が聞えたけど。」
ニコニコ笑っていたシタンの顔がにわかに険しくなった。

「フェイ。ちょっとこっちへ。」
「??」



シタンはフェイを部屋の外に追い出し、エリィの様子を窺いながらドアを 閉めた。
そして、小声で言った。

「フェイ。エリィは首を絞められたようです。」
「先生。それは夢だって、先生が言っていたじゃないか。」
「しっ! 声が大きい。」

「先生。どういうことだよ。」
「貴方はエリィの喉元に気が付かなかったのですか? うっすらとですが アザがありましたよ。」
フェイはあっけにとられている。

「エリィが飛び起きた時、周りには誰もいなかったけど。」
「しかし、あれは指の跡です。」
「じゃあ、犯人はシグルドさんなのか?」
「可能性はあります。彼は以前、彼女の命を狙っていますからね。それに、 まだ、彼はドライブと共に与えられた暗示の影響下にあり、いつ何を するか分かりません。とにかく、彼女の周りに気を付けて下さい。」
「分かった。」
「私は、若くんにシグルドをよく見張っておくように言っておきます。」


ドアの向こう側からは、エリィの鼻歌が聞えてくる。