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エピソード5.x(12)





ブスッ!
バルトは他人事ながら、思わず肩を竦める。
対照的にシグルドは瞬き一つしなかった。

「これで、徐々に良くなって行くと思います。さあ、若くん。貴方も少し休みなさい。」
「分かったよ。先生。」
シタンは手早く荷物を片づけ、部屋を出て行った。



ふうっ
シタンは扉を閉め、ため息をつく。

息苦しいのだ。
バルトの縋るような眼が―――辛いのだ。
先の見えない治療くらい辛いものは、ない。
それは家族にとっても。医者……否……友人にとっても。

あと、どのくらい待てばいいのか。
あの処方で正しかったのだろうか。
今まで用いた薬に問題は無かったのだろうか。
今までの薬が劇薬であることは、何よりも自分が良く知っている。

そして、



―――彼は本当に治るのだろうか―――。



絶対に口にしてはならない言葉。
顔に出すことすら許されない不安。

実際、シタンも参っていた。
眠れない日々。
手に入れた資料は全て目を通している。
世の中で、手に入るものは全て。
それでも、不安は拭えない。
彼は長いこと横になっていなかった。

そのため、時々記憶の欠落を起こしていた。



「先生。」
呼ばれてシタンは振り向いた。
「フェイ。」

シタンの様子はいつもと変わらない。落ち着いた、響きの良い声。
その声を聞くだけで、フェイは安心するのだった。
大丈夫、きっと先生は治してくれる。自分だって助けてくれたのだから。
フェイの期待が同時にシタンの重圧でもあった。

「先生、お茶でもどう?」
「いいですね。では、呼ばれるとにしましょう。」



「エリィ。お茶を入れるのが上手くなりましたね。」
エリィは笑いながら肩を竦めた。

「先生、おだてると後が恐いよ。」
「本当です。今だから言えますが、最初はどうなることかと心配しましたよ。」
ぽんっとフェイが手を叩いた。
「あ、だからか。最初の頃、ユイさんがちょくちょく来てたのは。」
「今ごろ気がついたんですか……。フェイ、貴方という人は。ユイが特に心配していたんです。」
シタンは呆れ顔。

「ソラリスの人って料理下手なの?」
フェイがエリィに聞えない様に囁いた。
「否定はしませんよ。特に彼女の場合はガゼルでしたからね。恐らく、家事なんてやったことがなかったんじゃないですか?」
「ギアに乗れても?」
「そう、ギアが操縦出来てもです。」
二人ともくくくと肩で笑っていた。

「ねぇ、何の話?」
「な、何でもないよ。エリィ。」
「月が出ていますねぇ……。」





月だ……。

砂漠の月も、こんな風に赤かったな。



『浮かない顔をしてますね。明日は12年ぶりの帰城だというのに。』

『帰城か……王宮奪回が成功したら王様か…………似合わねぇな。』

『じきに慣れますよ。』

『なぁ、シグ……。』

『はい?』

『別に……別に王様ってのは誰でもいいんだろうな。希望の象徴であれば。 俺でなくっても。』

『………。』

『………。』

『私はソラリスにさらわれ、実験台として洗脳されました。だが、“帰らねば”という心までは、 奴等には消せなかった。その時思い出したのは、一国の王子様ではない、 ただの子供の貴方とマルー様でした。私は、王朝再建なんて、どうでもいい。若の家だから取り返したいんです。』

『俺の家だから?』

『ええ。その為にも明日はシャーカーンを叩きのめさなくては。違いますか?』

『……そうだな。いっちょ、派手にやるか!!』

『では、まず風呂に入ってもらいましょうか!』

『風呂ぉ!?』

『そのままでは到底、王者の風格がありません。敵の総大将にまみえるのですから、バシッと決めていただかなくては!』

『おまえ、今、王としての俺はどうでもいいって言ったばかりじゃないかーっ!!』

『それはそれ、これはこれ、です!』



あの後、首根っこ掴まれて風呂に放り込まれたっけな。

「シグ。おい、シグ。」
身動きもしない、か。

あの時も、シグ……お前は身じろぎもせずに中庭を眺めていたよな。



『若ですか……。』

『やぁ。なんか寝られねえよな。』

『いろんな事が一度にありましたからね。』

『なぁシグ……お前の母さんってどんな人だった?』

『……まだ私が小さい時に亡くしましたが、なにか?』

『想い出す事って、あるか? どんな人だった?』

『そうですね……母は優しい人で……ただ、生まれた時に医者から短命だと知らされていたそうです。 ずっとそれを恐れて生きていました。そのせいで、好きな相手ができた時も死に別れる怖さに自分から身を引いたそうです。 もっとも、あとあと最後まで共に過ごせばよかったと悔やんでいましたが……。』

『おまえの親父さんは?』

『私が生まれた事は知らないはずです。けど知らないなりに、実の息子のようによくしてもらいました。』

『なぜ親父さんに、言ってやらなかったんだ? 自分は息子だって。』

『母が隠しておきたかったのなら、そうしておきたかったのです。』

『今日の宣言にあった親父の遺言には続きがあるんだ。おまえが得たものは、 兄と分かち合いなさい。おまえと兄が得たものは、すべての民と分かち合いなさい……ってさ。』

『!』

『ずっと、なんの事なんだか不思議だった。それを言っておきたくってさ……おやすみ!』



あの時のお前の驚いた顔は最高だったっけな。
俺がやったどんな悪戯よりもなぁ。





「アヴェを許すな。我等は親兄弟の仇を取るんだ。」
「そうだ! 奴等は俺達の仲間を殺したんだ!」
「和平など認めるな!」
「アヴェに攻め込め!」
「おーっ!」

“ピーィィッ!”
けたたましく、笛の音が闇を切り裂く。
「に、逃げろっ!」
「夜の集会は禁じられている! 逃げた連中を捕まえろ!」
闇の中、怒声と怒号が入り交じる。そして鈍い音。
何人もが連行されていった。

しばらくして、静寂が訪れた。



“カラン”

「……意外にやっかいな人物ですね。彼は。」
その人物は窓から下を眺め、グラスを傾けていた。

「禁止令の発令、摘発と手際があまりに良すぎます。まだ準備も整いません。」
「放っておくと、新たな戦争にまで発展すると気付いているのでしょう。 思っていたよりも、優秀ですね。この国のトップは。」
「はぁ。」

「気にする事はありません。上が優秀であればあるほど、 案外下は育っていないものです。」
「と、いうと?」
「そういう事です。」
ゆっくりと頷く。
「心得ました。」

「それなら、小人数でも出来るはずですね。」
「はい。」

「それから、あの男はどうしてます?」
「特に行動を起している訳でもないようですが。」
「そうですか。ついでにそちらの処分も任せます。」
「はい。」





「どうだ?」

「はい。主だったものはこれで殆ど捕まったのではないかと思われます。」
「今回で何度目になる?」
「さあ……。」
リコは立ち上がり、カーテンを開けて外を見た。

「密告も思ったより楽なものではないのだな。だが、多すぎる。」
「何がですか?」
「反発する者の数がだ。何か……意図的なものを感じる。このままで済むはずが無い。」

「キング。」

リコは背中を向けたまま。
「今はキングなどではない。」
「何故、表舞台に出られないのですか? 貴方ほどのお人なら、こんなところでコソコソしていなくても、 皆がついてくるでしょうに。」

リコは肩越しに睨んだ。あまりの気迫に、部下は思わずたじろぐ。
「国を追われた者が今更何を……。しかし、ジークムント周囲の監視を強化しろ。」
「では?」
「勘違いするな。目的は暗殺を未然に防ぐことだ。このままでは奴の命が危ない。」





真夜中―――

ううん……。

バルトは、シグルドが寝返りを打つ音で目を覚ました。
どうやら寝苦しいらしい。こんなシグルドは初めてであった。いつも泥のように眠っていたから。

「シグ。苦しいのか?」
「う……ん。」
シグルドは再び寝返りをした。かなり寝苦しそうだ。
ちくしょう。先生の薬、ちっとも効いている様子がねぇじゃねぇか。バルトは心の中で悪態を付いた。

「う………。」
「シグ。大丈夫か?」
思わずバルトがシグルドをゆすった途端、シグルドが薄目を開けた。

「こ……こ……は……?」
久しぶりに聴くシグルドの声。正気に戻ったのか。バルトは胸に熱くこみ上げるものを感じた。
「……こ、ここはフェイの家だ。正気に戻ったんだな。シグ!」
バルトの声が喜びで大きくなる。

「……フェ……イ?」
シグルドの顔は無表情のまま、ただ瞬きをしていた。“フェイ”が誰のことか分かっていないようだ。

「あ〜。まさかフェイを知らないとは言わねぇよな。」
「………。」
シグルドは無言のまま、瞬きを繰り返している。

「おい……冗談言うなよな……。」
「………。」
「おい、シグ!」

シグルドは再び沈黙し、瞼を閉じた。