TOPへ戻る 目次へ戻る エピソード5.x(4)へ エピソード5.x(6)へ

エピソード5.x(5)





ある夕食後の風景。ビリーがふと話を切り出した。

「親父、こんな言葉知ってる?」
「何だ?」
煙草の煙を一つ吐き出し、ジェシーが聞き返す。

「狂いし種よ。時は満ちた。今こそ神の元へ。」
「ああ、それか。俺も知っている。たしかその後は………誰かを称えてんだったよな。」
「うん。名前は思い出せないけど、………様を称えよ、て続くよ。」
「それがどうかしたのか?」
ちらりとビリーの顔を見る。

「どうもしてないけど、何か気になるんだよ。」
「何がだ。」
「分からない。でも、これを聞くと何故か不安になるんだ。最近、この言葉を口にする人が急に増えたし。 何かが起こるような気がして。」
ジェシーが煙草の火を消し、向かいにいるビリーに向き直る。

「いいか、ビリー。それはお前の考え過ぎだ。言いようのない恐れや不安を抱えている人間が神に縋るのは 当然じゃねぇか。それだけ世の中が不安定なんだ。自分自身の心の奥底に眠る“神の心”を 見出せない者は、人の語る“神の教え”に縋るしかないのさ。」
「でも、受け取り様によっては“皆で神の元へ旅立ちましょう”とも取れるよ。」
ビリーはあくまで心配気である。

「あのなぁ、仮にも神様ってやつが自殺を勧めるわけがねぇだろ。例え人によって語られた 神だったとしてもな。だいたい信者が大量に死んじまったら話しにならねぇじゃねぇか。 その宗教が滅んじまうぞ。」
ジェシーが呆れ顔で言った。
「それもそうだね。」
ビリーも納得したようである。


「狂いし種か……。たしかにそうかもしれねぇな……。」
ジェシーのそんな呟きは、煙草の煙と共に天に昇った。





「マルー様の様子はどうですか?」
世話係のシスターが静かに首を振った。
「相変わらず部屋に閉じ篭りきりで、食事もほとんど手を付けられていません。あのままではお身体を 壊されてしまいます。」
「そう……。」シスターアグネスはため息をついた。





『今度会うときはもう“若”って呼べないね。“陛下”……かな?』

『やめてくれよ。“若”でいいよ“大教母様”。』

『もうー! その呼び方はきらいなの!』

『ははは! じゃあ、行ってくるぜ!』

『うん! がんばってね。』



若………さみしいよ………。

ボク………どうしたらいいんだろ………。



『大丈夫か!?』

『足…撃たれちゃった。へへへ……また迷惑かけちゃったかも。』

『馬鹿野郎! なんでこんな無茶な事したんだ!?』

『だって……こんなことぐらいしか、若のためにしてやれることないんだもん。』

『……馬鹿野郎。馬鹿だよ! 大馬鹿野郎だ、お前は!』



若………教えて………。

ボク………そっちへ行ってもいいかな………。





「……マルー様。」
シスターアグネスが部屋のドアを開けた。
マルーはベッドに潜ったまま、顔を出そうともしない。

「マルー様。」
シスターアグネスは再び声を掛ける。
ようやく出したマルーの顔は涙で濡れていた。ずっと泣き続けていたのだろう。瞼が腫れている。

「ボクのことは放っておいてよ……。」
「皆が心配してます。せめて、食事くらいはお取りになって下さい。」
「食べたくない……。」
マルーの眼は虚ろだ。

「このままではお体に触ります。バルト様が亡くなられた今、マルー様までお倒れになったら、 私たちはいったいどうすればいいのですか?」
シスターアグネスが優しく問い掛ける。

「若は死んじゃったんだよ。ボクだけ生きていたってしょうがないじゃないか。」
マルーは再び布団を頭から被った。
マルーの気持ちはもちろんよく分かる。しかし、このままでは本当に病気になってしまいかねない。 こんな状態が彼女にとっていいわけがないのだ。

シスターアグネスは布団を引っぺがして、頭ごなしにマルーを叱った。
「いいかげんにしなさい!! いつまでもグスグスと。泣いてたって亡くなられた方が帰ってくるわけでは ありません。あなたには大教母としての役目が在ります。早く職務に就かれて下さい。」

「やだっ。シスターアグネスがやってよ。」
マルーは枕を抱きかかえて顔を隠す。

シスターアグネスは枕元の椅子に腰掛けた。
「私では無理です。」
「エリィさんがいるじゃないか。あの人はきっとソフィア様の生まれ変わりなんだから。ボクなんか いなくても別に……ボクは死んじゃいたいんだ。そして、若の元に行くんだ。」
マルーがまた泣き始めた。

ため息交じりにシスターアグネスが答える。
「……そんな事をして本当にバルト様が喜ぶと思われますか?」
「だって……。」

「バルト様はいつだって、人々のために精一杯尽力されていらっしゃいましたよ。マルー様も彼を 見習いましょう。」
「ボクに何が出来るっていうのさ!」
マルーがシスターアグネスに食って掛かった。

マルーの人生はある意味でバルトを中心に回っていた。若の役に立ちたい、その一心で今日まで 生きていたのである。そのバルトを失い、やり場のなくなったこの想いを、いったい、何処に注ぎ込めば いいのか、マルーは自分の心を持て余していたのである。
シスターアグネスはそんなマルーの想いを良く心得ていた。

「バルト様の生き様と想いを人々に伝えるのが、今のマルー様の役目です。」
ボクはまだ、若のために役に立てるの? マルーの眼が一瞬、丸くなった。
シスターアグネスはにっこり微笑むと先を続けた。

「バルト様は消えてしまわれたわけではありません。例え肉体は滅びたとしても、彼の名と共に、 永遠に人々の心の中に生き続けられます。そうですよね、マルー様? マルー様が語り部となられ、 人々に伝えられるのです。この地に若き獅子あり、その獅子、悪政を正し争いを鎮めん、とね。 バルト様が何を考え、何を行い、何を成そうとしたのかを人々に伝えていきましょう。そのためにも マルー様がしっかりなされないと。バルト様のためにも、マルー様のためにも、もちろん人々のためにも ですよ。」

「うん……わかった。」
マルーが弱々しく肯く。
「まずは食事をきちんと取りましょう。ね、マルー様。」
シスターアグネスが片目でウインクした。

「シスターアグネス。ありがとう……。」





「……バルトロメイ・ファティマの死体が発見できません。」

「では、彼は生きていると?」
「その可能性があります。しかし行方は一向につかめません。大教母のところにも いませんし、仲間の所でもなさそうです。」
「だから“彼”を尋問していると?」
「そうです。」
ファティマ城の地下通路をシグルドが2人連れで足早に歩いていく。ある男を 尋問するために。

その男はかなり前からここの一室に閉じ込められていた。
部屋の中に入ると、その男は全身傷だらけの状態で隅にいた。身動きできない様に 拘束されて。その姿から男がシグルドにどんな目に会わされているか想像に難くない。

「バルトロメイ・ファティマは何処に行った? お前なら分かるだろう。」
「………。」
男は無言のままシグルドを睨み付ける。

「言う気がないのか?」
「………。」
男は黙ったまま。

「では、お前の身体に聞こう。お前が言う気になるまでな。まあ、いつも通り気を 失う方が先かもしれないがな。」
シグルドは鞭を振り上げかけた。

「止めなさい!!」

シグルドが振り返る。
「何故ですか?」
シグルドを制止した男は仮面を付けており、彼の顔はよく分からない。その仮面はグラーフのものと 非常に酷似している。冗談で付けているとしたら、全くタチの悪い冗談である。 仮面の男が、黙り込む男の側に行き、その全身をしげしげと眺める。

「この男に力ずくで聞いても無駄ですよ。元々頑強に出来てますしね。しかし、よくここまで 痛めつけたものですねぇ。感心しますよ。」
「なかなか口を割らないので。いかがいたしましょうか。」シグルドが聞き返した。
「この男に打って付けの方法がありますよ。そこを退きなさい。」
仮面の男は屈み込み、懐から何かを取り出して男の目の前に突きつけた。

「これが何か知っていますよね。」
「………。」無表情の男が初めて恐怖の色を浮かべた。
「そう、貴方は良く知っているはず。これの効力もね。」
「よせ! やめろ!」

この男が取り乱す所をはじめて見たな。どんな目に会わされても冷静なのかと思っていたが。
シグルドは2人のやりとりを見てそう思った。
「貴方が話す気になりさえすれば止めてあげますよ。どうです、少しは話す気になりましたか?」
彼は男に揺さぶりを掛け続ける。

「俺に分かるわけがない!」
男は返答を拒む。その額には脂汗が浮かんでいた。
「閉じ込められているからですか? ふふん。貴方なら分かるはずですよ。なぜなら……。」
「止めてくれ! 俺は知らないんだ!!」
仮面の男は、この懇願に応えず、男にそれを打った。

「ぐ、うわぁぁぁぁぁぁぁ。」
悲鳴を上げて男がのた打ち回る。
「しばらくそこでそうしていなさい。」仮面の男が吐き捨てた。

そんな仮面の男にシグルドが問い掛ける。
「これでは話すら出来ないのではありませんか?」
仮面の男はのた打ち回る男を見て楽しんでいるようである。

「……聞くだけ無駄ですよ。」
「え?」シグルドが聞き返す。
「この男は、殺したって喋るような男ではありませんよ。精神が壊れるギリギリまで追い詰めないと 無理でしょうね。しばらくこれを使いなさい。別に死んでも構いませんから。どっちにしろ用が済めば お払い箱ですからね。早めに片付いていいかもしれませんよ。」
「ロキ様……。」
仮面の男は服を叩いて立ち上がった。

「子ネズミ一匹、取り逃がしたところでどうなるもんじゃありませんよ。」
「ですが……。」
「気になりますか? ふふん。彼のことです、そのうち目の前に現れますよ。生きていればね。 彼はそういう性格の男です。その時に再び料理すればいいじゃありませんか。今度は しくじらない様にして下さいよ。」
「はい。」

「ああ、その時に何人か連れてくるかもしれませんが、全て同様に処分して下さい。」
仮面の男が思い出したように付け加えた。
「よろしいのですか?」
仮面の男のその言葉にシグルドが驚き、聞き返す。
「構いませんよ。ふふふ。」

のた打ち回る男の悲鳴は廊下まで響き渡った。その悲鳴は男の声が嗄れるまで続くこととなる―――。