「ちょっと。」
アトリが顔を見上げると、座っていたオペレータ席のまん前に自分と同じ型のレアリエンが
立っていた。
「何をしているの。……それって、私たちの取扱説明書じゃない? どうして
それを読んでいるの?」
「ええ。ちょっとキャロルさんに頼まれて。」
「それ読んでいて面白い? ……ねぇ、それを読んでいるのなら、一緒にお茶しない?」
「うん。」
休憩室
机を挟んで、向かい合わせに座る瓜二つの二人。まるで鏡に移っている姿のようだ。
レアリエンを見慣れているはずのヴェクターの社員も物珍しそうに、可愛らしい二人に
視線を送りながらそばを通り過ぎていく。
「前から気になっていたけど、あなた、向かい側のモニター席に座っているわよね。」
「ええ。」
「ここにいるほとんどのレアリエンは分かっているはずなんだけど……、あなた、名前は?」
「私は“アトリ”。」
「アトリ……? それが名前じゃないでしょう? 私が聞いているのは、あなたの
ロットナンバーのことよ。」
クスクス笑う同型のレアリエン。
「#4767-1128-Atori」
「なるほど。私は#4767-1128-Ai。あなたが呼ばれている呼び名に習うと、“アイ”に
なるかしら。私も、あなたと一緒に作られた同じロットのレアリエンよ。」
アイのその言葉に、そういえば自分を含めてあの場に12体いたなぁ、と
思い出したアトリであった。
アトリには聞きたいことが山のようにあった。一緒に作られた仲間のこと。今、他の仲間達は
何をしているか。どれから、何から話そうかと、アトリが迷っていると……。
“いやぁーーーーーーっっ!”
突然、耳を劈(つんざ)くような悲鳴が頭の中に響いた。咄嗟に耳をふさぐアトリ。
ふと見ると、アイも同じように耳をふさいでいる。
「今の聞いた?」
「ええ。」うなづくアトリ。
「今の声は、多分#4767-1128-Aushiよ。グノーシスにやられたのね。」ため息とともに
アイが言った。
――グノーシス――
――人類を襲う正体不明存在――
アトリの頭に情報が流れ込む。
「どうして、彼女がグノーシスにやられたと分かるの?」アトリが咄嗟に聞いた。
「あの子達は、ヒルベルトエフェクト性能限界しきい値確認用サンプルだったの。
どのくらいの広さまでグノーシスを物理的存在へ固着出来るか。同時に、何体まで
グノーシスを固着出来るかのよ。Anezumiが伝えてきたわ。あれ? あなたAushiの声を
初めて聞いたの?」
「うん。」
「じゃあ、Anezumiの悲鳴は?」アイが質問をたたみ掛ける。
「いいえ、全然。」アトリはゆっくりと首を横に振った。「じゃあ、AnezumiもAushiと
同じなの?」
「そう。ヒルベルトエフェクトの連続発動試験の負荷に耐えられなくなって、もうとっくに
壊れてしまったわ。あなたには聞こえなかったのね。あの子の叫びが。」
「ええ。」
アトリの返事に、やっと得心のいったという顔をするアイ。
「やっぱりそうよね。私たちにはお互いの存在が見えるはずなのに、何故かあなたの
姿だけは見えたり見えなかったりするもの。」
「お互いの存在が……?」思わず上目遣いで見てしまうアトリ。
「ええそうよ。お互いの存在、また、場合によっては情報も共有できるわ。だから、私たちが
何の為に作られたのかも知っている。……私たちは“性能最終試験”という名目で、
壊れるまでテストされるのよ。悪く言えば破壊テストとも言えるわね。これが私たちの本当の
使命。私たちも、あとどれくらい存在していられるか分からない。だから、それまでを
謳歌しましょう。」
「………どうして、私の存在だけ見えないの? 私にはみんなの存在が感じ取れないの。」
アトリの心は不安でいっぱいだった。
「う〜ん。あなただけ、リンクが不安定なのかもしれないわね。突然繋がって、突然切れる、
ような。」
(ねえ、アトリ。私の声が聞こえる?)
(ねえ、アトリったら。聞こえる?)
「……。」
アイはしばらく待つと、目を伏せ、ため息混じりに首を横に振った。
「……やっぱり、聞こえないみたいね。あなた。」
「アイ。今、何か言ったの。」
うん、とアイはうなづいた。
「あなたの名前を呼んでみたの。他の仲間を呼ぶみたいに。」
……聞こえない。私には聞こえなかった。
(アイ。どうして私だけ聞こえないの? ねえ、教えて。)
アトリは懸命に念じた。アイに届くように。
「途中だけだったけど、聞こえたわよ。あなたの声。きっと、あなたは仲間に伝えることは
出来るのよ。聞くことができないだけ。」
アイの返事に、自分だけが切り離されていない、自分は決して孤独なのではない、と
アトリは思った。自分には仲間がいる――それがアトリには、嬉しかった。けれども、私は
仲間の気持ちを共有することは永遠に……。
アトリとアイは、休憩の後、自分の持ち場に戻った。
……のはずなのだが、アトリはそのまま持ち場に戻る気が起きなかった。少し歩いていたい。
アトリは廊下をフラフラと歩いていた。
ショックだった……かろうじて仲間とつながっていると知って少しは安心したけれども、
みんなは初めからリンクでつながっている。自分だけがその存在を知らなかった。
そのことが、とてもショックだったのだ。
アトリが角を曲がった時
どっすん。
「いたたたぁ…。」
勢い良く走りこんできた誰かとぶつかった。弾みで座り込んでしまったアトリ。
「あ、ごめんなさい。私、つい、ぼうっとしていて。」
「こちらこそ、ごめんなさい。急いでいたから、つい。」
ぶつかった相手がしりもちをついているアトリに、手を差し出した。
「あれ、あなたレアリエン?」
レアリエン独特の金の瞳。
「そうです。」
「レアリエンがぼうっとするなんて、大丈夫?」
「え? 珍しいことなんですか? 私はよくあるけど……。」
アトリがおずおずと答える。
「良くあるの? ちょっとこっちに来て。」
急にメガネの奥の眼が見開かれた。
「はい?」
アトリの正面からマジマジと見つめる女性。眉間にしわを寄せたアップが結構こわい。
「う〜ん。見た目には、なんとも無いようね。問題は“中”の方か。いいわ、いらっしゃい。
調整するから。」
ぶつかった女性は、アトリの腕を掴み、ぐいぐいとアトリを引っ張っていく。
「あ、あの、ちょっと。」
アトリが口を挟むヒマもない。
―― 第三開発局レアリエン調整室 ――
「あの、勝手に使っちゃってもいいんですか?」
アトリをたくさんある調整槽の一つに押し込み、なにやら調整槽のキーボードを叩く女性に
対して、アトリは心配になって尋ねた。
「いいのいいの。厳密に言えば私はここの人間じゃないけど、いつもここに
入り浸っているから。」ニッコリ笑顔で答える若い女性。そう、若いのだ。この人は。
“あ、あれ、あの赤い影は?”
アトリは、笑顔の女性の背後に何か得体の知れないモノを見たような気がした。
「う〜ん。やはりおかしいわね。あなた本当にヴェクター製なの?……て言ったって、
ここ(ヴェクター)にいるんだから他社製のわけがないわねぇ。えっと、
調整用共通パスワードっと。」
ビーッビーッ!
けたたましく鳴る警告音。モニターにも警告が表示される。
“パスワードが違います”
「あれぇ? 違う?」
女性は両手を挙げ、いすの背もたれに寄りかかり、アトリを見た。
「……ひょっとしてあなた、噂の新型百式レアリエン?」
「そうです。」
思いっきり寄りかかられた背もたれが鳴った。
「三局も新型レアリエンの調整がなってないようじゃ……。」
さらに、カチャカチャとキーボードをたたき始めた。
「……初期タイプだから、さほど難しくて分かりにくいパスワードはかけてないと
思うのよね……。う〜ん。何だろう? パスワード。」
相変わらず、何度もなる警告音。聞いているアトリの方が内心ヒヤヒヤものである。
「……どうやら、一般的な単語じゃなさそうね。そうだ! 型番! 型番のアナグラムの
可能性があるわ――。ねえ。あなた、型番は何?」
アトリが口を開き、答えようとしたところ……。
「ウヅキさんっ!!」
「はいっ!」
ビクリと声に反応し、規律直立する女性。どうやら、女性の名前はウヅキという名前らしい。
「あっちゃぁ〜、一番見つかりたくない人に見つかったわ。」
女性は思わず“デコ”に右手を当て、嘆いた。
この声の主は、ずんずん近づいてきて、アトリの調整層をパンパンと叩き、言葉を続ける。
「勝手に触られちゃあ困るんですよ。この個体は新型のモニタリングテスト版なんですからね。
許可なく調整してはならない、と上層部からキツイお達しが出ているんです。」
「……だから、パスワードが違うのね。」
「ウヅキさんっ。妙な関心をしていないで、今後一切、この個体に触れてはいけませんよ。」
「分かりました。」
ペコリと頭を下げるウヅキという名の女性。
「ごめんね、あなたを直してあげられなくて。次は話し相手になってあげるからね。
私もあなたに興味があるし、また今度会いましょう。」
でも、アトリを慰めるその顔はめげているようには見えなかった。言葉の最後にアトリに
しっかりウィンクして見せたのだ。
「主任〜、やっぱりここですかぁ。」
若い男性が戸口の外から、ひょっこり顔を出している。
「早く戻らないと開発報告会議に送れちゃいますよ。まったく。いつも主任の遅刻の言い訳を
考えるこっちの身にもなってくださいよ〜。」
「ごめん。アレン君。ちょっとここに急用があって。」
「次に会うときは、ゆっくりお話しましょうね。」女性はアトリの方に振り向いて言った。
“あれ? また赤い影”
アトリは目をこすった。
“あの赤い影は何だろう。”
「いいかげんにしてくださいよ。主任がレアリエンにばかり構っていると、KOS-MOSが
焼きもちを焼きますよ。」
「もう。あの娘(こ)が焼きもちを焼くわけないじゃない、アレン君ったら……。」
きれいな笑顔を残して、彼女はわっさわっさと、騒がしく出て行った。
ぽつんと取り残されたアトリと男性。
「あの方は?」
「あ、あの女性ですか? “シオン・ウヅキ”さん……困ったお人ですよ。第一開発局の
人間なのに、レアリエンが好きだからとか何とか言って、しょっちゅうここに遊びに
来るんですよ。あれでもKOS-MOS開発計画担当主任技師ですからね。ヴェクターも
この先どうなることやら。」
答えながら、アトリを調整層から外してくれた。
「“KOS-MOS”って何ですか?」
「機密レベルクラスの開発品だそうですよ。たしか、対グノーシスの最後の切り札とか
何とか。」
「すごいんですね。あの方。みかけによらずに。」
「そう、人は見かけによらず、なんですよ。」
くすっ。アトリは笑った。
あとがき:
まだまだ続きます。
とりあえず、アトリとシオンを会わせてみました。
シオンは、私の中ではみょーにお節介な女性のイメージがあるんですよね〜。
EP3では、やたらとキャンキャンよく咆える女性でしたが(苦笑)。
次に会うときは、と言っていますけど、次、会う時があるんだろうか?(爆)。
あの頃の彼女の日常って、きっとこんな感じ。(^^ゞ
「赤い影」「赤い影」ってアトリは言っているけど、それじゃあ先輩、まるで
シオンの背後霊ですよ(笑)。自分で書いていて笑ってしまいました。
けど、へばりついていそ〜。怖いな〜。
仮面の忍者−赤影、ならず、仮面の亡霊(テスタメント)−赤影(爆)。