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故傷(ふるきず)――ヒュウガ





妻は肌を晒さない。
娘すら見ることはない。
胸元から腹にかけて刻み込まれた傷跡。
遠いあの日の残骸。
それは………。





バサッ!
暗闇の中、襲い掛かってきた者をヒュウガは一撃で斬り捨てた。

無駄なことを……。


ヒュウガは明かりを点けた。
残りは5人……。死ぬつもりでいる奴が一番タチが悪い。


「ヒュウガ・リクドウ。覚悟!」

キン!
バキ!
ドサ!

3人を斬った。3人とも、もう息はないはずだ。

ヒュウガは笑って見せた。血に染まった笑いを。魔物となりきるために。
「くっくっく。逃げるなら今のうちですよ。あと何分もしないうちに、 あなた方もこの者達と同じ運命を辿ることになりますからねぇ。」 可笑しくてたまらない、という感じで。

自分の振る舞いに、彼等が怯んでいるのが分かる。お願いだから、このまま 逃げてくれ!

「さあ、どうします? このまま大人しく私に斬られるおつもりですか? さぞかし斬り応えがあるでしょうねぇ。この刀も、もう少し血を吸いたがって いるようですしね。さあ、どんな姿にして欲しいか言いなさい。その位の 願いは聞いて差し上げますよ。くっくっく。」

黒装束の男が仲間に何かを囁いた。逃げる相談をしているのかもしれない。 しかし、1人は明らかに死ぬつもりであるのが見て取れた。

1人は無理のようだな。せめてもう一人だけでも助けたい。時間を稼ぐ間に 逃げてくれ……。

「覚悟は決まったようですね。ではこちらから行きますよ。」
ヒュウガが男に向かって切り込んだ。男の腕も確かだが、所詮ヒュウガの 相手ではなかった。ヒュウガは猫がネズミをいたぶる様に扱った。決して 致命傷は負わせない。全身から血を流し肩で息をする男。その姿は哀れだった。

「剣を置きなさい。逆らうのを止めたら、一思いに止めを刺してあげますよ。 くっくっく。」
何度斬らながらも男はヒュウガに立ち向かう。遊ばれていることを知りながら。
男の悲壮な決意と、その男に対する自分の仕打ちは、ヒュウガ自身の心をも 深く傷付けていた。

早く。早く逃げてくれ! 傷つけたくないんだ! 出来るだけ早く、死なせて やりたい!本当はこれ以上苦しめたくないんだ!
ヒュウガの心もまた、傷つき血を流していたのである。

ダッ!
背後に別の殺気を感じてヒュウガは振り向き、無意識に返す刀で下から上へ 斬り上げてしまった。

うわっ。しまった!

「きゃあ!」
飛び散る悲鳴と血飛沫。

胸から血を流してもう一人が倒れた。斬るつもりはなかったのに。

今のは、女?

ヒュウガは一瞬、そちらに気を取られてしまった。これを暗殺者が見逃す はずがない。

ザク!
避けきれずヒュウガは左肩を斬られた。
深い傷、しばらく使い物にならないくらいに。
「ちょっとお遊びが過ぎたようですね。これでおしまいにしましょう。」
ヒュウガは、最後の1人となった男をあっさり斬って捨てた。



本当に女なのか?

近づいてよく観ると、ユイの身体が微かに震えている。
まだ息があるのか。良かった……。しかし、キズの程度を診てみないと 安心は出来ないな。

ビリビリ!
ヒュウガは襟に手を掛けると、服を引き千切った。露わになる胸元。彼女は そのまま気を失ったようである。

やはり女か。しかし、重傷を負ったとは言え、私の一撃を避けるとは。



ヒュウガはインターホンを取った。
「ヒュウガ・リクドウだ。今、自室に賊が侵入した。」
「大丈夫ですか?」
「ああ。全て倒したから心配ない。」
ちっという舌打ちが聞こえる。

「少々ケガをしたので、ドクターをよこしてくれ。」
「了解しました。処理はいかがしましょうか?」

……今、彼等に来られては困る。

「後にしてくれ。手当てが終わったら連絡する。以上。」





「珍しいこともあるものだな。お前が手傷を負うなんて。」
しっ。
ヒュウガはさりげなく医者に合図をしてから、モニターのボリュームを上げた。 モニターからはけたたましい音楽が溢れ出してくる。喧騒の中で、 ヒュウガが言った。

「いえ。貴方に見ていただきたいのは、この方です。」
ドクターは目を丸くした。この者の服装はどう見ても、その辺に 転がっている者と同じ。
「仕損じたのか?」
「ええ。まあ。」
ドクターの鋭い視線に、ヒュウガが眼を逸らす。

「相手が女だからか? お前もまだまだ甘いな。」
からかうような言葉を、ヒュウガは軽く受け流した。
「彼女は自分で避けました。決して手加減した訳ではありません。」
「ほう? お前の刀をなぁ。見掛けに依らず、なかなかのお嬢さんだ。」
ドクターの言う通り、お嬢さんという呼び名がぴったりの年頃である。

「それはともかく、助かりそうですか?」
「自分で診断ぐらい出来るだろう?」
「助かるとは思いますが。」
「医療道具は全てここに持ってきた。お前が自分で治療してみろ。 どうせこの娘、ずっと部屋に隠しておくつもりなんだろ?」

相変わらず鋭いな。
敵の多いヒュウガにとって、多くを語らずに済み、それでいて何でも 分かってくれる、このドクターは貴重な友人であった。かつての友人に 去られてからは……。

「ええ。彼等に知られれば、彼女は連れ去られてしまいます。そして、 命ある限り続く、惨い仕打ちを受ける事になるでしょう。そんな目には 遭わせたくはない。」
「死神ヒュウガとは思えない台詞だな。あれ、悪鬼だったっけ?」
「……“死の大天使”です。お願いですから茶化さないで下さい。」
この男は……まったく。
「じゃあ、見ていてやるからやってみろ。」

止血処置を施して、傷口を縫いあわせる。全てが滞りなく済んだ頃、 ドクターが言った。
「お前の手当ても必要なようだな。」
「ああ、そうでしたね。忘れていました。」



ヒュウガの肩に包帯を巻きながらドクターは尋ねた。
「もう一度聞くが、この娘、良くなるまで置いておくつもりか?」
こくん、ヒュウガは頷いた。

「お前の寝首を掻くかも知れんぞ。」
「そんなドジは踏みませんよ。」ヒュウガは笑った。
「治療に必要なものは全部ここに置いておく。何かあったら呼んでくれ。」
「はい。……そろそろスイッチを元に戻しておきましょうか。いずれは 知れることですし。」





ガチャ
ヒュウガはユイを隠した部屋のドアを開けた。
彼女はまだ気が付いていないように見えた。起さない様にそっと歩く。

「ん?」水が減っている。
ヒュウガは残っている水の量を確かめて、フッと笑った。

「どうやら気が付いたようですねぇ。どうですか、ご気分は?」
ヒュウガは顔を覗き込み、口の端を僅かに上げ、わざと小馬鹿にするように 言った。悪魔であることを印象づけるために。お互いのために、自分は 聖人であってはならないのだ。
ユイは露骨に顔をしかめて、プイと横を向いた。

この元気があるなら大丈夫そうだな。ヒュウガはほっとした。悟られぬように そっと。

「おや、随分と嫌われたものですねぇ。命を助けてやったというのに、 その態度はないでしょう?」
「命の恩人……ふん。」
ペッ。ユイはヒュウガの顔に向かって唾を吐いた。

負けん気の強い……。しかし、なめられる訳にもいかないからな。少し脅して 大人しくして貰おうか。

ヒュウガは顔を手の甲で拭うと、ユイの襟首を捻り上げて上半身を起させた。 我ながら怪我人に行う所業とは思えないが、麻酔はまだ利いているはずだ。
「ふふ。女のくせにいい度胸だ。腕には相当、自信が御有りの様ですねぇ。 だが、貴方は女、私は男。それに貴方は今、動けない。これがどういうことか、 当然、御分かりのことだと思いますがねぇ。」
ヒュウガは、わざと低い声で脅した。ドスを効かせて。

悪寒がしたのだろう。ユイの身震いが右手を通して伝わってきた。それでも 彼女は怯えながら、精一杯ヒュウガを睨み付ける。
「どうせ、最初からそのつもりでしょ?」
本当に気の強い女性だ。ヒュウガは苦笑いを浮かべた。
「その通りですよ。」

ユイをベッドの上に突き飛ばし、両腕を押さえつけ、目の前で嘲笑ってやった。
「なかなか気の強い御方だ。貴方みたいな人は、さぞヤリ甲斐が あるでしょうねぇ。」
丁寧な言い回しの中に、わざと女性の嫌う言葉を混ぜ込む。その効果は絶大。 ユイが明らかに怯え始めた。だが、同時にユイの眼の中に危険な兆候が現れた。 まずい!

“ガリ!”
ヒュウガの顔が一瞬歪む。本当に僅かの間だった。
ふう。危なかった。少しからかい過ぎたようだ。折角助けたのに、こんな つまらないことで死なれては、苦労が水の泡だからな。

ユイが噛んだのはヒュウガの指。気配を悟ったヒュウガが、口の中に左手を 押し込んだのだ。舌を噛み切られぬように。

「……ケガ人なんぞ抱きませんよ。ヤッても何も面白くもないですからね。 貴方の胸の傷が治るまで待っていますよ。お楽しみはそれからです。 くっくっくっ。」
カッとしたユイが、押さえられてない右手でヒュウガの頬を引っぱたいた。

再び、腕を押さえつける。腕に自分の血が付いた。
「ふふ。これは楽しみだ。貴方がどんな狂態を晒してくれますかねぇ。まあ、 天国くらいは見せてあげますよ。これくらいは男の役目ですかね。」
留守中に舌でも噛まれたらかなわないからな。一言言っておくか。
ユイの自殺を思い止まらせるため、ヒュウガは彼女の耳元で囁いた。

「……貴方もチャンスなのではありませんか? 私の命を狙っているので しょう? 私は貴方がどういう手段で抗っても構わないと言っているんですよ。 例えば……そこの短刀を振りかざしたりしてもね……。」
ユイの眼に生気が戻ってきた。ヒュウガが言っていることを理解したのだ。

「これはゲーム。私が勝つか、貴方が勝つか。私が勝てば貴方が手に入る。 逆に、貴方が勝てば私は死ぬ。まんざら悪い話ではないでしょう。 くっくっくっ。」
ユイは、ヒュウガのこの言葉に一瞬目を丸くしたが、すぐに抜け目のない 顔つきに戻った。

「貴方はどうするの? 貴方も女相手に刀を振り回すわけ?」
ヒュウガは吹き出した。
かわいいことを言う。私を挑発して、自分に少しでも有利な条件を 引き出そうとしているな。
「そんな無粋なマネはしませんよ。ケガなんかされたら、折角のお楽しみが 半減してしまいますからね。貴方の相手なんぞ素手で充分。」
ヒュウガは再び笑ってみせた。

「まあ、せいぜい早く傷を治して、体力を付けておくことですね。あまり 簡単に手に入ってしまっても、面白味がありませんから。」
「分かったわ。」
ヒュウガの驚くべき提案に対して、ユイは承諾した。


ふう。思ったより飲み込みが早かったか。これで、自殺の心配は なくなったわけだ。それにしても度胸のいい。女にしておくのは惜しいな。
「ま、私以外の人間に見つからない様に、せいぜい大人しくしておくこと ですね。貴方と……私のためにもね。くっくっくっ。」
ヒュウガは立ち上がり、本棚へ向かう。その背中に向かってユイが言った。

「随分と余裕があるわね。私は貴方の寝首を掻くことだって出来るのよ。」
ヒュウガは足を止めた。危うく吹き出しそうになったからだ。
正直な人だ。わざわざ口に出さなくてもいいのに。
そして、冷たい声で次のように返答した。

「その時は……ゲームを始めます。私が死ぬか、それとも貴方が私のものに なるかの……ね。」
ヒュウガとユイの奇妙な共同生活が始まった。