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故傷(ふるきず)――ユイ





あの人は悲し気な瞳で見る時がある。
それは多分、この傷のせい。
胸元から腹にかけて刻み込まれた傷跡。
遠いあの日の残骸。
それは………。





――来た――

暗闇の中、仲間の一人が飛び掛かる。
バサ!
………。


パチン
明かりが点けられた。


明るくなった部屋の中に立っているのはヒュウガ。
殺られたのは仲間の方だった。


「ヒュウガ・リクドウ。覚悟!」

キン!
バキ!
ドサ!

たちまち3人が転がった。内臓が見えるほど深く斬られている。
3人とも、もう息はない。

ヒュウガは笑った。血に染まった笑い。人の血を浴びて喜ぶ――悪魔だ。
「くっくっく。逃げるなら今のうちですよ。あと何分もしないうちに、 あなた方もこの者達と同じ運命を辿ることになりますからねぇ。」 可笑しくてたまらない、という感じだ。

この男を生かしてはおけない……。この狂人のために、今まで何人の人間が 犠牲になったか。ある者は見るも無残な姿にさせられた。あの時も、 この狂人は笑っていた。死者を冒涜するような者は人間じゃない!!



―――びちゃっ!

―――血飛沫が飛び、首がもげる。

―――くっくっく……。

―――周りの者達が怯えて後退りする。

―――さあ、お次は誰ですか?

―――無造作に死者の髪を握り、首を高く掲げる。首からはまだ生暖かい血が だらだらと流れ落ちていた。

―――この様に無様な姿を晒したいのならね。もちろん、こうなっては 無様だと思う事も出来ないでしょうけれどねぇ。くっくっく。

―――首を真上に放り投げる。そして、落ちてきたところを……。

―――真っ二つに斬った。

―――あまりに惨たらしいその光景に、敵味方に関わらず顔を背ける。

―――くっくっく、はっはっは……。



「さあ、どうします? このまま大人しく私に斬られるおつもりですか? さぞかし斬り応えがあるでしょうねぇ。この刀も、もう少し血を吸いたがって いるようですしね。さあ、どんな姿にして欲しいか言いなさい。その位の 願いは聞いて差し上げますよ。くっくっく。」ヒュウガは念を押す。

黒装束の男が、仲間に囁いた。
「……ユイさん。俺は奴と刺し違える覚悟だ。その間にあんたは逃げろ……。」
「今更、なぜ? 私も戦うわ。」
「女のあんたを巻き込むべきではなかった。奴に斬られたなれの果てが どうであるかは、あんたも知ってるだろう。あんたをそんな姿に したくないんだ。さっさと逃げろ!」

ヒュウガはニヤニヤ笑っている。

「覚悟は決まったようですね。ではこちらから行きますよ。」
ヒュウガが男に向かって切り込んだ。男の腕も確かだが、所詮ヒュウガの 相手ではなかった。ヒュウガは猫がネズミをいたぶる様に扱った。決して 致命傷は負わせない。

「剣を置きなさい。逆らうのを止めたら、一思いに止めを刺してあげますよ。くっくっく。」
何度斬らながらも男はヒュウガに立ち向かう。遊ばれていることを知りながら。
命ある限り戦う、彼のその姿にユイも覚悟を決め、ヒュウガに斬りかかる。
背後に殺気を感じてヒュウガは振り向き、反射的に返す刀で下から上へ 斬り上げた。

「きゃあ!」
飛び散る悲鳴と血飛沫。

胸から血を流しユイは倒れた。とっさに身体を仰け反らせ、心臓と 首を斬られない様にするのが、彼女の精一杯の足掻きだった。

何故か分からないがヒュウガに隙が出来た。これを暗殺者が見逃すはずがない。

ザク!
避けきれずヒュウガは左肩を斬られた。それでもまだ彼は笑っている。
「ちょっとお遊びが過ぎたようですね。これでおしまいにしましょう。」
ヒュウガは、最後の1人となった男をあっさり斬って捨てた。



コツ…コツ…コツ…コツ……
ニヤニヤ笑いが近づいてくる。

私の息の根を止めるつもりね。おじいちゃん、ごめんなさい……。
恐怖で身体が微かに震えるのを止められない。

ビリビリ!
ヒュウガは襟に手を掛けると、服を引き千切った。露わになる胸元。

私をどうす…る……気……?。

ユイの記憶はそこまでだった。





「ううん………いや! 止めて! あ……。」

ユイは気が付いたと同時に、猛烈な喉の渇きを覚えた。
目の前に水が置いてある。ユイは迷わずにそれを飲んだ。
「ここは……? 私、助かったの?」

まだ霞む目で部屋を見回してみる。コンピュータとギアの模型と正体不明の 機械、そして大量の書籍……ただそれだけ。人間らしさの全く無い部屋。

「一体、誰の……?」
眼を擦り、本のタイトルをよく見ようと身を起しかける。

“ズキン!”
するどい痛みがユイを現実に引き戻した。

見慣れない文字……ソラリス語だ! ここはソラリス人の部屋なんだ! 全身の血が凍りつくのを感じた。

ソラリスに捕まった者で、帰ってきた者はいないと言われる。よしんば 帰ってきたとしても、再教育を施されてソラリスの手先なっている。 自分もそうなるのか?
そんな事になる位なら、いっそここで舌を噛み切って……ここまで考えた時、 ふと、あるものがユイの目に留まった。やや大ぶりの刺刀、見覚えがある。

「私の!」
手にとって確かめたいが、今は動けない。
冷静になって、自分の周囲を見回してみる。拘束具は取り付けられていない。 また、閉じ込められている訳でもなさそうだ。傷が重いために敵は 油断しているのか? それならばそれで都合が良い。このまま動けないフリを し続けよう。傷が良くなるまで。



ガチャ
部屋の主が戻ってきたようだ。ユイは薄目を開けてその主を見る。

ヒュウガ?!

体中の毛が逆立った。この悪魔の顔を見間違えるはずが無い。

「ん?」
しまった、ユイは水を飲んだことを激しく後悔した。
ヒュウガは残っている水の量を確かめて、フッと笑った。

「どうやら気が付いたようですねぇ。どうですか、ご気分は?」
ヒュウガは顔を覗き込み、口の端を僅かに上げ、小馬鹿にするように言った。
ケダモノの息がかかる。ユイは思わず吐き気を催す。同じ空間にいるだけで 汚らわしい……。ユイはプイと横を向いた。

「おや、随分と嫌われたものですねぇ。命を助けてやったというのに、 その態度はないでしょう?」
「命の恩人……ふん。」
ペッ。ユイはヒュウガの顔に向かって唾を吐いた。

ヒュウガは薄笑いを浮かべ顔を手の甲で拭うと、ユイの襟首を捻り上げて 上半身を起させた。
胸に鈍痛が走る!
麻酔は利いているようだが、それ以上にユイの身体に相当の負担が かかっているのだ。
「ふふ。女のくせにいい度胸だ。腕には相当、自信が御有りの様ですねぇ。 だが、貴方は女、私は男。それに貴方は今、動けない。これがどういうことか、 当然、御分かりのことだと思いますがねぇ。」
ヒュウガはドスの効いた低い声で言った。

“ゾクリ”

ユイの背中に悪寒が走った。怯えながら、精一杯ヒュウガを睨み付ける。
「どうせ、最初からそのつもりでしょ?」
ヒュウガが妖しい笑いを浮かべた。
「その通りですよ。」

ケダモノ……。

突然、ユイはベッドの上に突き飛ばされた。ヒュウガが両腕を押さえつけ、 目の前で嘲笑う。
「なかなか気の強い御方だ。貴方みたいな人は、さぞヤリ甲斐がある でしょうねぇ。」
彼の喉の奥から忍び笑いが漏れてくる。

このまま、この男の餌食になる位なら死んだ方がマシ。ユイは決心した。
“ガリ!”
口の中に血の味が広がる。



何か固いものを噛んだ……。

ヒュウガの顔が一瞬歪む。本当に僅かの間だった。
え?
ユイが噛んだのはヒュウガの指。気配を悟ったヒュウガが、口の中に左手を 押し込んだのだ。舌を噛み切られぬように。

「……ケガ人なんぞ抱きませんよ。ヤッても何も面白くもないですからね。 貴方の胸の傷が治るまで待っていますよ。お楽しみはそれからです。 くっくっくっ。」
カッとしたユイが、押さえられてない右手でヒュウガの頬を引っぱたいた。

また、腕を押さえつけられる。腕にヒュウガの血が付いた。 赤い血――この男にも一応血が流れていたのか。
「ふふ。これは楽しみだ。貴方がどんな狂態を晒してくれますかねぇ。まあ、 天国くらいは見せてあげますよ。これくらいは男の役目ですかね。」
この後、ユイの耳元で囁かれた言葉は、彼女の自殺を思い止まらせるのに 十分な効果があった。

「……貴方もチャンスなのではありませんか? 私の命を狙っているので しょう? 私は貴方がどういう手段で抗っても構わないと言っているんですよ。 例えば……そこの短刀を振りかざしたりしてもね……。」
ユイの眼に生気が戻ってきた。ヒュウガが言っていることを理解したのだ。

「これはゲーム。私が勝つか、貴方が勝つか。私が勝てば貴方が手に入る。 逆に、貴方が勝てば私は死ぬ。まんざら悪い話ではないでしょう。 くっくっくっ。」
やはりこの男は狂っている。自分の生死に関わる話をゲームといい切るなんて。 でも悪い話じゃない。この男の息の根を止められるのなら……。

「貴方はどうするの? 貴方も女相手に刀を振り回すわけ?」
ヒュウガは吹き出した。
「そんな無粋なマネはしませんよ。ケガなんかされたら、折角のお楽しみが 半減してしまいますからね。貴方の相手なんぞ素手で充分。」
言葉通りに、あっさり刺刀を取り上げられ、成すすべなくヒュウガの下で慰み者に なっている自分の姿が頭に浮かぶ。

「まあ、せいぜい早く傷を治して、体力を付けておくことですね。あまり 簡単に手に入ってしまっても、面白味がありませんから。」
どうせ一度は捨てた命。何度捨てても同じこと。この身体だって死んだも同じ。
「分かったわ。」
相手の驚くべき提案に対して、ユイは承諾した。


「ま、私以外の人間に見つからない様に、せいぜい大人しくしておくこと ですね。貴方と……私のためにもね。くっくっくっ。」
ヒュウガは立ち上がり、本棚へ向かう。その背中に向かってユイが言った。

「随分と余裕があるわね。私は貴方の寝首を掻くことだって出来るのよ。」
ヒュウガは立ち止まった。
「その時は……ゲームを始めます。私が死ぬか、それとも貴方が私のものに なるかの……ね。」

ヒュウガとユイの奇妙な共同生活が始まった。