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別れ





「ほら、シグ。見てみろよ。かっわいーだろーっ。なっ! なっ!」
バルトの目尻は下がりっぱなし。
「はい。しかし、思っていたよりも小さいものですね。」
金色の髪、整った顔立ち、そして、碧色の瞳。
「あったり前だろ。まだ生まれたばっかりなんだぜ。」

……そうか、あの時の私は、まだ子どもだったからか……。
シグルドの中に、忘れ果てていた記憶が甦る。





「シグルド・ハーコート。到着しました。」
「国王陛下の御前である。くれぐれも失礼の無いように。」
「分かりました。」
シグルドは胸を張り中へと進み、跪いた。

高鳴る鼓動。年齢よりも遥かに大人びているとはいえ、不安でシグルドの胸は 押しつぶされそうだった。
玉座には国王と王妃が座っていた。
「顔を上げなさい。」
王妃の膝の上には、まだ生まれて数ヶ月の王太子が抱かれていた。 王太子バルトロメイ・ファティマは無邪気にも王妃の胸元についている 白いレースを引っ張って遊んでいた。金色の髪、碧色の瞳。父親によく似ている。

「シグルド・ハーコート。11歳。ノルン出身。……確かに相違ないな。」
「はい。」シグルドの声はかすかに震えていた。

「これなら問題ないだろう。どうだ? マリエル。」
国王は王妃の方を向く。王妃はバルトの頭を撫でていた。
「ええ。一人くらい年の近い者がいれば、この子の良い遊び相手ともなるでしょう。ね。」
王妃はシグルドの顔を見てにっこりと笑った。

「シグルド・ハーコート。その身を王太子付近衛士官見習いとする。いいな。」
世継ぎの出来た今、処刑されても仕方の無い身の上。なのに国王と王妃は 自分を士官として迎えるという。シグルドは歓喜のあまり身体が震えてくるのを感じた。

「身に余る光栄でございます。この命に代えても、王太子の御身を守りたいと存じます。」
シグルドは深々と頭を下げた。





「シグ。どうだ、抱いてみるか?」
「いえ。遠慮しておきます。マルー様にもご挨拶をしなければいけませんから。」
「そっか。残念だな。」



「マルー様。おめでとうございます。」
「ありがとう、シグルドさん。赤ちゃんには会ってくれました?」
マルーはベッドの中で微笑んだ。

「ええもちろんです。小さい頃の若によく似た可愛らしい赤ちゃんですね。 よく頑張りましたね。」
「うん。一時は死ぬかと思ったけど、今となっては笑い話ですね。」
「マルー、お前はよく頑張ったよ。」
バルトの目には涙。





夜、シグルドはバルコニーに立っていた。
「シグルド様。どうなされましたか?」
「いや。何でもない。」

これが、目撃された最後の姿だった。





シグルドが消えた。

バルトはあらゆる手を尽くしてシグルドの行方を追った。
無論、彼自身も忙しい公務の合間を縫って、心当たりを捜した。
しかし、その行方は依然として不明であった。





「おお。バルトロメイ閣下。はるばるノルンまで、ようこそおいで下さいました。」
「度々すみません。こちらにシグルドが来ていますでしょうか?」
「こちらこそ何度も来て頂いて。バルトロメイ様にお役に立てればよかったのですが。」
「では。ここにはいないのですか。」
「誠に申し訳ありません。」

バルトは去って行った。

「……いいんですか? シグルド。若くんに会わなくても。」
「いいんだ。若の声が聞けた。それだけで充分だ。」





シグ……。いったいどこに行っちまったんだよ……。

バルトはファティマ城の最上階にいた。
眼下には広大な砂漠。その上には雲一つない澄み切った青空が、どこまでも 広がる。窓から流れ込む風は砂漠の熱を帯びているはずなのに、バルトには どこか冷たく感じられた。

どこかの空の下にいるはずだよなぁ……。なぁ、教えてくれよ。シグは どこにいるんだよ……。

「若くん。」
振り向くとシタンが立っていた。
「ここにいると聞いたものですから。」
「先生。シグの居所が分かったのか?」
シタンは静かに首を振り、バルトに一通の手紙を差し出した。

「シグルドからです。」

バルトはひったくるように受け取り、びりびりと封を切った。間違いない、 シグルドの文字。彼らしくなく、文字はやや乱れてはいたが。

『私の突然の失踪について、まずはお詫び申し上げます。』

バルトの眼が字を追って行く。

『本来なら、折りを見計らって暇を頂くつもりでした。しかし、予想していた 以上に、死は私の側まで来ておりました。私も、母と同じく短命を定められた 身体だったのです。
若、決してノルンの人々を責めないで下さい。彼らは、生を受けた土地で 静かに眠りにつきたいという、私の願いを聞きいれただけなのです。』

「死ってどういうことなんだよ……。シグ。」

『死期を迎えるにあたり、私の胸に去来するのは、若、貴方のことです。
貴方は覚えていらっしゃらないと思いますが、最初に貴方に出会ったのは、 父上との謁見の時でした。私は父上に約束しました。何があっても貴方を守ると。
不幸にも私がソラリスに捕まっている間に、貴方とマルー様はシャーカーンに 幽閉されてしまいました。私はソラリスを脱出し、メイソン氏の協力を得て あなた方の救出に向いました。あなた方の囚われている部屋の扉を開けた時、 貴方自身、立ち上がることも出来ぬほど弱っていたにも関わらず、気丈にも マルー様を後ろに庇っておいででしたね。私は、貴方の瞳の強さと、 貴方の態度に心撃たれ、そんな貴方に仕えられることを光栄に思いました。 貴方は、私のことを自分達を殺しに来た刺客だと勘違いしていたようですが。
貴方の心の傷は重く、闇は深く、まるで、いつまでも終わらない悪夢を 見ているようでした。闇に怯え、灯りに怯え、鞭に怯え。貴方がどんな仕打ちを 受けたのか、容易に想像ができました。そこで我々は一つのカケを行うことに しました。覚えていらっしゃる通り、私は貴方に鞭の扱い方を教えました。 元々、負けず嫌いだった貴方は、瞬く間に上達していき、それと共に、貴方は 本来の明るさを取り戻していきました。
貴方が回復したことが知れ渡ると、我々の元に仲間が集まり始めました。 同時に、刺客も差し向けられるようになりました。我々も、極力、貴方に 悟られない様に、一人ずつ抹殺して行きました。貴方を守るために仕方が なかったのです。
貴方は我々の期待に応え、シャーカーンを倒し、アヴェの良き指導者と なられました。貴方の背中には人々の希望があり、足元にはミロク隊長を はじめとする大勢の人々の血と汗と涙が流されているのです。 決してそのことを忘れずにいて下さい。
最後に、良き父親であって下さい。』

「先生。シグはもう……。」
シタンはうつむいたまま。
「ええ。駆けつけた時には、既に手遅れでした。彼の体中の血管は ドライブの後遺症によりボロボロだったため、ナノマシン治療すら 施せる状態ではありませんでした。」

バルトもシタンも黙ったまま、時間だけが流れた。

「先生。」
そっと部屋を出ようとしたシタンが足を止める。

「……ありがとう。」

シタンはそのまま部屋を出て行った。



バルトは窓に向い、息を吸う。
「シグの……シグのぶわぁっかやろおっーーー……。」

バルトの叫びは青空に吸い込まれていった―――。