「おーお。よしよしいい子ね。」
クラウディアがマリアを抱いて部屋の中を歩いている。
それを嬉しそうに眺めるニコラ。
「大分抱き方が上手くなったね。」
「ええ。あなたのおかげよ。」クラウディアも嬉しそうである。
「でも、その癖だけは治らないみたいだね。」
「クセ?」彼女は首を傾げた。
「左手を握り締めたまま抱っこする、その癖だよ。」
「ああ、これ?
だって握り潰しちゃったりしたら恐いんだもの。先に握っておけば安心でしょ?」「まだ、感覚が掴みきれていなかったのかい?」
「ほとんど大丈夫よ。ただ、柔らかいもの、脆いものが恐くて。たまに落としたりもするし。」
「じゃあ、練習だな。」
「えー。まだするの?」
「もちろんさ。」
「どう?」
「これなら、大丈夫みたいだね。最後の課題はちょっと難しいぞ。最後の課題は……これだ!」
「ぷっ。」
ニコラが紙袋から大袈裟に取り出した物体を見て、思わずクラウディアは吹き出してしまった。
「あっ!
笑ったな。」「だって……。」彼女はケタケタ笑っている。
彼が取り出した物体は………何と、“生卵”。
どんな難解なものが出てくるかと思えば、あまりにも身近過ぎるものだった。
「機械工学の中で、難しい課題の一つなんだぞ。丸いし脆いから、それぞれの指の力加減とバランスがとても難しいんだ。指に触れた感覚でもって、指の力とバランスを加減するんだ。これをA地点からB地点まで運び、B地点にそっと置く。そして再び持ち上げてC地点で卵を割って、黄身を潰さずに中身を出せたら卒業だ。もちろん、中身を出す時には右手も使っていいよ。さあ、できるかな?」
「当然よ。」
さも当たり前のように、彼女は卵を握った。
「あ、あれ?」
グシャ!
卵は手の中であっさり割れてしまった。
「やっぱりできないじゃないか。」
「そんなことはないわよ。」
しかし彼女がムキになればなるほど、卵は手の中で割れるか、または掴みきれずに手から転げ落ちるかを繰り返した。
「う〜ん。確かに難しいわね。でも、なんだか無駄の様な気がしない?」
「え?
何が。」「この卵よ〜。あまり食べ物を粗末にしたらいけないと思うの。」
彼女は割れてしまった卵を見て、しばし考え込んでいる様子であった。
「よし!」
彼女はパチンと指を鳴らすと、卵が割れても良いように大き目の皿を下においた。
「これでいくら割っても料理に使えるわ。どうやら今日は卵尽くしになりそうね。」
「それって……夕飯の話?」
ニコラの質問に、彼女はにっこり笑って返した。
「そうよ。これから当分の間、毎日卵尽くしになるんじゃないかしら。」
「うへぇ……。」
全く女って奴は……としみじみ思うニコラであった。
「今日こそ、出来る様になったところを見せるわよ。」
クラウディアは意気揚々と買い物から戻ってきた。
「ほんぎゃあっ!
ほんぎゃあっ! ほんぎゃあっ!」部屋の中はガランとしていて、ただマリアだけがけたたましく泣いていた。
「あれ?」
彼女は買い物カゴを置くと、泣いているマリアを抱き上げた。
「おぉよしよし。いい子ねぇマリアは。……それにしても、どこに行っちゃったのかしら。マリアの事、頼んでおいたのに。」
でも、何かがおかしい。外出するのなら、鍵をかけて行くはずなのに。
その日、ニコラはついに戻らなかった。