「ほら、みてごらん。」
ニコラは銀色に輝く物体を取り出した。
「それ何?」
「君の左腕だよ。今は骨組みだけだから、分かり難いかもしれないけどね。」
うぃ〜ん。うぃ〜ん。
ニコラはクラウディアの目の前で、義手の指を開いたり閉じたりしてみせた。
「なんだか気持ちが悪いわ。」
「そんなことを言わないでくれよ。これにプラスチックとシリコン樹脂で出来た肌色のカバーを付けて、君の腕そっくりにしてみせる。君は自分の腕で、マリアを抱くことができるんだ!」ニコラの瞳は輝いていた。
「本当にそんなことができるのかしら……。」
クラウディアは淋しそうに自分の左肩を見た。彼女の左の二の腕から先は、生まれた時から無かったのである。
「僕に出来なかったことがあったかい?」ニコラは悪戯っぽく尋ねた。
ギア工学の権威。結婚後に脳神経の研究も始め、最近では脳神経機械学の方面でも有名なのである。それは、一重に妻のためだとは知る由も無いクラウディアだったが。
「ううん。」彼女が首を振った。
「そうだろう?
出来るんだよっ! 君さえその気になればいいのさ。」ニコラはクラウディアの肩を抱き、彼女は力強く頷いた。
「でも、指とかどうやって動かすの?
まさか右手でスイッチを押すわけじゃないでしょうに。」「もちろんさ。君は“掴みたい”という意志だけで、右手と同じように物を掴んだり、持ち上げたりすることができるよ。そのベースとなる神経伝達理論もとっくの昔に完成している。あとは実証するだけさ。」
「うふふ……。楽しみね。」ようやくクラウディアの顔から笑みがこぼれた。
ニコラは、ベッドの脇のゆりかごで眠っていたマリアを抱き上げた。
「マリア、お前のお母さんがやっとその気になってくれたよ。お前のおかげだ。お前はいい子だ。」
「ほぎゃあ。ほぎゃあ。」マリアが泣き出した。
「おや……困ったな。」
「眠ってたところを急に起されてビックリしたのよね。おーよしよし。」クラウディアは優しくマリアの頭を撫でてやった。
「でもね、右手だけでも結構なんとかなるものよ。」
クラウディアは、ニコラからマリアを受け取ると自分の肩に乗せるように抱き上げ、ぽんぽんぽんと、なだめるようにマリアの背中を軽く叩いてやった。マリアはそれで安心したのか、ようやく泣き止んだ。
「さすがは母親だね。」
「まかせてよ。」クラウディアは胸を張った。
「今はいいかもしれないけど、赤ん坊はすぐに大きくなるよ。」
ニコラの言葉に、彼女はクスリと笑った。
「片腕で支えきれなくなる前に、絶対に完成させてね。理論だけじゃなくて……ね。」
「もちろんさ。そのためにも君の脳波とか、右腕の筋肉と信号を伝える神経の働きとか、その他諸々測定させてもらうよ。」
「こうなったからには、いくらでも付き合うわよ。マリアを抱けるようになるまでね。」
二人は心から幸せを噛み締めていた。
「お目醒めかい?」
「もう、済んだの?」
「そうさ。起き上がってごらん。」
クラウディアはぎこちないしぐさで上半身を起した。
「……なんだか、左肩が重いわ。」
「君に左腕が出来たんだ。当たり前だよ。」ニコラはにこにこしている。
彼女は生まれて初めて自分の左手を見た。恐ろしいものでも見るように。
「これ……動かせるの?」
「そうだよ。まずは指を曲げてごらん。どの指でもいいから。右の指を動かすように、ゆっくりとね。」
クラウディアとニコラの視線が、彼女の左手の指先に熱く注がれる。
だんだん彼女の顔が泣き出しそうになってくる。それでも指は動かない。
「……だめ。動かないわ。やっぱり無理なのよ。」
「結論を急いでは駄目だ。」
「無理なものは無理なのよ!
いくらあなたが天才でも、出来ないものは出来ないのよっ!」彼女はすっかり取り乱していた。「いいかいクラウディア。マリアをよく見てみろ。」
ごきげんなのか、マリアはゆりかごの中でばぶぅ、ばぶぅと両手両足をバタつかせていた。
「一見、無駄な動きにしか見えないだろう。まだ歩くどころか“ハイハイ”もできないのだから。でもマリアの脳や神経にとって、あれは大切なことなんだ。ああやって脳や神経、筋肉をどうやって動かせばいいのかを学習していくんだ。」
「それが、私とどういう関係が。」
「大ありだよ。君は生まれつき左腕に障害をもっていた。そのため、左腕に相当する部分の脳神経が未発達なんだ。測定データもそれを証明してくれている。すぐに動かなくても、ちっとも慌てることじゃない。」
「でも動かないのよ。動かせなければ神経も何も発達するわけ無いじゃない。」
「大丈夫、僕を信じて!
まずは目をつぶって……深呼吸して……気を楽に……。」クラウディアは言われた通りにし、大きく深呼吸をした。
「何も考えずに意識を左手に集中するんだ。やりにくかったら、心の目で左手を凝視する感じでいればいいよ。」
彼女は眉間にしわを寄せて意識を集中する。
「……なにか……暖かい……感じがする。……気のせいかしら。」
「気のせいなんかじゃないよ。他にも何かを感じないかい?」
「……何かが……手?……を締め付けているの?」
「その通り。じゃ、眼を開けてごらん。」
眼を開けると、ニコラが彼女の手をそっと握っていた。大きな暖かい手。彼女は左手でそれを感じ取ることが出来たのだった。
「手と腕には小さな温感センサーと触感センサーを、あちこちに埋め込んであるんだ。流石に本物と全く同じ感覚というわけではないけれど、これでも自分の腕じゃないとでも言うのかい?」
「ううん。もう言わないわ。」彼女は首を振った。
「まずは、色々なものに触れさせてその感覚から養おう。時間はたっぷりあるんだ。」
「そうね。でも、最初はこの“重さ”から慣れなきゃね。」
「かなり軽量化したつもりなんだけどなぁ。」